2013年12月30日月曜日

こんなところでもアナログ。。。


 
 
毎年イギリスから必ず二人の友からクリスマスカードが届く。最近ではメールなどで新年のご挨拶をするパターンがあるけど、こうやってお店に行ってちゃんとカードを選び手書きでもらうと嬉しいものです♪
 
私ももちろん街へ出掛けカードを吟味して、家に帰って手書きで書いているとなんだかワクワクした気持ちになる。こういう感覚ってメールなどでは味わえないものですね。
 
編曲する時の楽譜だってそう。コンピューターでのやり方がわからないというのもあるけど、手書きのほうが手っ取り早いし、そしてまたワクワク感があります。
 
日本の別の友人たちも手書き派の人達がいて、ひょんなときにハガキが届いたり、暑中見舞いなんかが届いたりすると、スーッと目の前を心地よい風が通り過ぎたような気持ちになったりします。
 
デジタルはデジタルの良さがあって、それぞれ使い分けたら良いのですけど、
 
わたしはやっぱり、アナログが好き。
 
 


2013年12月27日金曜日

今年もお世話になりました。


 
 
今年も残り少なくなってきました。
 
 
沢山の方々にお世話になり、刺激的な日々を送らせていただきました。
 
ありがとうございました。来年はさらに良くなるように努力して参りたいと思っております。
 
 
みなさまも寒い季節、ご自愛くださいませ。
 
 

2013年12月23日月曜日

見えてきた。


ここのところ、段々とこれから何をやっていけば良いのかわかってきた。

既存の曲を演奏するということは、他人の歌を借りて作曲家の気持ちになって、あるいは解析したものを自分なりに消化させて、あるいはそれ以上の表現力を持って奏でることになるのですけど、生きていく為に好きな曲ばかりやっているわけにもいかず、他人の作った曲を演じることに空々しい気持ちになることがある。

でも、ギターを通して「曲との出遭い」という風に考えればそんな悶々とした気持ちも晴れるような気がする。曲があるからもちろん演奏が出来るのですけど、生きていく為に余り共感できない曲も弾かなければいけない、ことのほうが多い。

それを人との出遭いに当てはめてみたらどうだろうか。

好きな人物とだけ付き合っているわけにはいかなく、色んな人達との出遭いや繋がりがあって自分が成り立っていると思えば、それぞれに感謝する気持ちも湧いてくる。

話しは変わるけど、バッハさんだけは歌に違和感がないのですよね。全部しっくりきて、心の深い部分まで浸透していきます。

あと、あの人とあの方も。段々絞られてきました。やっぱり良い意味での職人になろう。

私は曲を中途半端な状態であれもこれもやるのは本当は好きじゃない。今まで周りの意見に左右され過ぎて素直に聴き過ぎてしまったかもしれない。

もちろん、ギターを勉強中の若者は一通り勉強すべきだし、全てを勉強することで、一つのことが見えてくるという事があるので。

上を見ればキリが無いけど、もうそろそろ決めよう。あと何年演奏家として活動出来るかということを考えると、そんな事を思うのです。


2013年12月21日土曜日

夢で作曲。


昔からよく「作曲はしないの?」と聞かれる。編曲はよくするけど、作曲はしないなぁ。。。

作曲みたいな編曲はすることがあるけど。


でも昔からよく夢の中で作曲をすることがよくある。しかもギターではなく他の楽器で。
例えばサックスでフリージャズぽかったり、ピアノで現代音楽風だったり。

こないだもお恥ずかしい話し、二度寝っていうやつをしてしまって、一度寝のときに「あ~さっきの曲なかなかいかしてる曲だったな。」と思って、また二度目のときにも目覚める瞬間に曲を作って、あら、これもいいね、なんてことがちょくちょくあります。

でも夢の中とか、目覚める瞬間とか眠りに入るときって「シータ波」のまどろみ状態なので、時間が経つとすぐに忘れてしまうのですね。いつも思うのだけど、何かお手軽なボイスレコーダーみたいなのを近くに置いて録音してしまえばいいのかもしれないですけど。

起きているときは、よくお風呂に入ってリラックスしているときに良いアイデアが浮かぶ人がいるけど、私の場合はお風呂に入ることに集中しているので、それは曲に限らず何も浮かんでこないのですね。曲がいくらでもどんどん出てくるのは、ふと自分の部屋から外を眺めている時とか、デスクで何か仕事をしているときとか、そんなときでしょうか。そんな時は今度は「アルファ波」なんでしょうね。

これはもう高校生の頃からずーっとあるのだけど、今まで何故これを活かして作曲しなかったのか、もったいないなと思うことがあります。

そこで、もっと積極的に少しずつでも作曲に取りかかったら良いのではと、最近真剣に考えてみましたが、それでもやはり試みようとはしなく、ただ時が過ぎていくままです。何でかなぁ

なんとなく思うに、理由の一つに、演奏することに気持ちが集中しすぎたり、頭のスィッチが切り替わらなかったりするからではと思うのです。

昔の人はいいなと思います。バロックの時代はルネッサンスとバロックだけで良かったし、古典の時代はバロックと古典だけで良かったかもしれないし、あるいは古典だけ演奏していたかもしれない。現代の人はもうルネッサンス~バロック~古典~ロマン派~近代~現代、ギターの場合はポピュラー的なことまで、それだけ奥が深くて楽しいのですけど、やる事いっぱい♪

きっと古典期に生まれていたら自作自演の演奏家になっていたかなぁ・・・?

曲が出てくるときは、凄まじい速さで流れてきます。一度も聴いたことのない音楽なのだし、何かのフレーズを真似たものでもないので、やっぱり作曲なのですよね。。。

楽曲分析しているときに、ふと思ったりします。こんな事やっている時間があったら、もう自分で作曲してしまおうかと思うことがあります。何だか人の作った曲を分析してどういう風に解釈して~なんてやっていると自分の行為がアホらしくく思えてくるのですよね~。作曲家の方達がアホらしいのではなく、自分の行為が、ということです。アナリーゼしていくうちに何だか空々しい気持ちになるというニュアンスが分る人が日本にどれくらいいるのだろうか。楽曲分析をするのは当たり前で、それが悪いと言っているのとも違います。

これは演奏家でやってきた者の弱みであり、素晴らしさであったりもするのですけど。今ベストを尽くせるのは作曲した人の想像を超えるような表現力で演奏することでしょうか。。。

ただ、そんなもやもやした悩みを払拭する作曲家が一人います。

それはバッハです。

どんなに作曲する力があっても、この方には敵わないからです。
だからバッハのアナリーゼは例え弾かなくても、楽しいものです。





2013年12月9日月曜日

やっぱりアナログ。


私は何でもアナログな世界が好き。

ネットだって本当は好きじゃない。でも仕事の為に仕方なく続けている。

音源も写真も映画もテレビも何もかもアナログがいい。


この世界から抜け出したいと思っているけど、そこまでする勇気のない自分が情けない。


コンピューターに疎いからと言って、「今どきめずらしいね。」という人がたまにいるけど、生き方の問題で、それをそこまで受け入れていないから、知ろうという気持ちが薄いのですよね。


世の中にアナログでは生活出来ないようにさせられているんだから、仕方ないもんね。

写真だってもう引き伸ばし機なんてないんだからさ。
 





2013年12月2日月曜日

今日は良い日でした。




今日は今年旅立たれた日本を代表する稲垣稔さんの門下生から、驚きましたけど嬉しいお話しを伺いました。それは自慢話のようになるのでこの場では書きませんけれど。

稲垣さんが、生前なぜ私の話しを全国各地でしていらっしゃったのか私にはわからない。

「稲垣さんが凄いギタリストなんだ。」と褒めてましたよ、と行くとこ行くとこで皆さんが教えてくださるのです。

凄いかどうかはわからないけれども、きっと想像するに稲垣さんはカッチリとした正統派のギタリストだったから、その正反対のはみ出す、アウトサイダー的なギタリストを過大評価してしまっただけじゃないのだろうか。。。

15年もの間、ついこないだまで言い続けてきた理由は何だったのだろうか。

ご本人に聞いてみたいと思ったときには、もういつの間にか星になってしまっていました。。。


2013年10月27日日曜日

月光。




今夜はなかなか寝付けず、おととい不思議なご縁でやってきた19世紀ギターを夜中にポロポロとつま弾いてみた。理由があり10日間も練習していなかったことが気がかりだったから。

でもこれならボディも小さく、テンションも低いので気軽に弾ける上に、19世紀ギター特有の優しく奥行きのある音がなんとも心地よい。

このギターの持ち主が最後に弾いた曲は、F.ソルの「月光」だった。

私は7才の時に初めて弾いたソルの曲はまさしく「月光」。

この同じ曲を今宵はしみじみと弾いて、「バトンタッチ」の儀式を終えたのでした。

おやすみなさい。いい夢を。




2013年10月23日水曜日

鹿児島国際大学リコーダー連続演奏会 vol.17。

11月23日(土) 19時開演  入場無料  
 
 
鹿児島国際大学8号館ミニコンサートホールにて鹿児島国際大学リコーダー連続演奏会に出演致します。

リコーダー
柴立美佐子(鹿児島国際大学国際文化学部音楽学科リコーダー専攻3年)
リコーダー・チェンバロ
吉嶺史晴(鹿児島国際大学国際文化学部音楽学科講師)

ギター
竹之内美穂(鹿児島国際大学国際文化学部音楽学科講師)  


(プログラム)

J.S.バッハ リコーダーと通奏低音のためのソナタ ヘ長調(リコーダー&チェンバロ)
吉嶺史晴 リコーダーとチェンバロのための「三日月の夜」(2013)
G.F.ヘンデル リコーダーと通奏低音のためのソナタ(リコーダー&19世紀ギター)  他

(ギターソロ)

A.バリオス  ~ 森に夢見る
S.マイヤーズ ~ カヴァティーナ
I.アルベニス ~ アストゥリアス   

*プログラムは変更がある場合がございます。あらかじめご了承ください。

*問い合わせ 099-263-0773

2013年10月17日木曜日

2年ぶりの復帰。




先日の復帰コンサートは、沢山のハプニングが発生しましたけど、結果的には大盛況で喜んで頂きました。ありがとうございました。60名のキャパでしたが、お陰さまで満席、椅子が足りなくなり補充するほど沢山お越しくださいました。ありがとうございます。

それにしても、本当のところ当日は演奏者にとっては悪条件てんこ盛りの状態で挑みました。

先日ブログに書いた首の痛みとそれから来る指の動きの違和感、2年ぶりの復帰と言う事で、ただでさえいつもとは違うプレッシャーが重くのしかかっているのに、それをどうクリアしようかと本音を言えば泣きたいような気持ちでした。

それに付け加え、当日個室が用意されていると聞いていたのですが、行ってみたらホールの手違いで控室が用意されておらず、小さな部屋にシャンソンのおばさま方とご一緒に。それは構わないのですが、やはり、本番前は心静かに精神統一したいという意識は、その方々には全くわからず・・・静かにして頂きたいとお伝えしても、女子高生のようにわーわーとおしゃべりが留まることがありませんでした。

うるさくて指慣らしどころか、調弦をすることもろくに出来ず・・・。クラシックの演奏会の控室としては考えられない状況でした。

絶対に失敗出来ないというプレッシャーと体調をどうクリアしようかということで頭がいっぱいでしたから、もう私の胸は悲鳴を上げていました。。。

その上、バランスを統一する為にマイク使用の予定だったですが、演奏中にスィッチが入っていない事を耳で発見。曲間で自分でスィッチを入れて、忙しない事といったら!そして、今度は一番前のお客様が2、3人、演奏中のちょうど左を向いているフォーカスの中で、携帯で撮影、そしてなんと録音している人も!!後ろからザーッと小走りに演奏者目の前まできて写メを撮るなんて目を疑いました。

何故このホールでこのような事が起きたのか私には解りませんが、全て集中に揺るぎなく、自分でほど良い緊張感を作り出して演奏しました。もう、腹が据わってたんですね!!!やっと本来の自分を取り戻せた感じです。

今後このようなハプニングが起きない事(心を改善して頂く事)を祈るばかりです。

2013年10月10日木曜日

秋、シャンソン、夢見るギター。

10月13日(日)14時開演 Sitiera ホールにてシャンソン教室発表会にゲスト出演いたします。 
 
 

枯葉はまだ早いですけど、さわやかな秋風が吹くウォーターフロント近くの響きの良いホールでシャンソンと温かく澄んだギターの音をご一緒に楽しみませんか。

皆さまのお越しをお待ちしております。

詳細はホームページ活動情報をご覧くださいね♪
                                     

   
                                    
                                                                       
     

 
 
*クラシックギターソロ*


 * 森に夢見る (バリオス)

 *カヴァティーナ(マイヤーズ)
  
 *アストゥリアス(アルベニス)
  
 
                         
 

2013年10月7日月曜日

ふと思った。


練習の合間にふと思った。

ワタシはバロックが好きというよりは、バッハが好きなのであって(だからと言ってバロックが好きじゃないという意味ではありません。)

タンゴが好きよいうよりは、ピアソラが好きなんだと。(だからと言ってタンゴが好きじゃないという意味ではありません。)


バッハもピアソラもジャンルや様式などとちっぽけなものを超越した、宇宙的な強度がある。
(様式が大切ではないと言っているわけではありません。大切なんだけど、そんなことはどうでもよくなるというくらい、大きな音楽に思えてくるという意味です。)

ピアソラは一見、根底に人間臭いものがあるように見えて、実はそれは違うんじゃなかろうかと。

彼は年少の頃に、バンドネオンでバッハばかり弾いていたらしい。
バッハとピアソラを両極端な音楽のように捉える人もいるけど、私には同じ音楽に観える。

難しい理屈ではなくて、ただそう思えるだけ。


少し前に「先日この治療で良くなりました。」という同じ所で意気揚々と矯正治療を受けたら、いつもはこんなことは無いのに、首をいきなりガッとひねられて、メキッと痛みが走り、本番が近づいている今を想い、ヒヤッとした。

案の定、2日目から右の首から肩、肩甲骨にかけて痛みが治まらなくなって1週間。

このことは本番まで書かずにおこうと思ったのだけど、先日のブログをご覧になった方が(固有名詞で治療名を書いた為。今は削除しましたけど。)早まってしまったらいけないと思ってお知らせしています。

留学時代にアンサンブル金沢のヴァイオリニストと知り合って、その方は鍼治療で首の治療をし、体が全く動かなくなってしまい、数か月寝たきりになったと言っていました。

その後回復なさったらしいですが。

演奏家の方々は気をつけてらっしゃると思いますが、首の治療は信頼できる所じゃないと危ないですね。(決して体の矯正治療や鍼などが悪いと言っているわけではありません。信頼関係がないと危険ですね、ということです。)

この2年間、どれだけ苦しんで、治療に励み、体を鍛えて、コツコツと準備してきたかと思うと、ため息がでます。

しかし、足を運んで下さるお客様には関係のないことです。ここのところは横になって譜面を見ながらイメージトレーニングで練習しています。

きっと大丈夫だと信じています。

当日は楽しんで弾きたいと思います。

2013年10月2日水曜日

ライブ情報更新しました。


先日、ブログを中止する旨をお知らせしたのですが、知人より「楽しみにしていたのに残念至極」というメールを頂き、再開することに致しました。

言葉の使い方次第で人の心は変わるものですね。その方がただ「残念」と書いていたら、おそらく再開しなかったかもしれません。。。「残念至極」と書いていたのでそこまでおっしゃって下さるのなら、とまた気を取り直しました。(笑)

ところで、とうとう2年ぶりに演奏復帰です。まだ体を立て直しながらの出演ですが、リサイタルではなくゲストということですので、少し気持ちが楽です。

2年ぶりの演奏ですのでステージに立つ緊張感とはまた一味違う、一抹の不安感は正直ありますが、それを払拭するかのように練習に励んでおります。

会場はウォータフロント近く、スタイリッシュで響きのよいシティエラ・ホール。
詳細はホームページのライブ情報に記載されています。

皆さまの温かい応援をどうぞ宜しくお願いいたします。
いい演奏会になりますように。。。


2013年9月22日日曜日

茂木健一郎とパイソンズ、そしてモネ。


夏の間は、現在改装中のナント美術館所蔵の絵が日本にやってきて、その学芸講座を受けてきた。応募者が多かったので抽選だったのだけど、当たった!のでした。

講座終了後に展覧会を見て回り(観ているうちに気付いたのだけど、実はナント美術館はフランス留学中に行っていたのでした。)、その帰りに美術冊子をパラパラとめくっていたら、茂木健一郎さんの連載で「睡蓮は輝く」というタイトルに目を奪われました。

「青年の頃は印象派の絵に余り好意を抱いていなく、万人受けすぎるし、やさしすぎて、尖っていない、そんなイメージがあった。そんな思い込みを払拭したのが、オルセー美術館でモネの日傘をさす女性を見た瞬間、衝撃を受けた。生きることの喜び、切なさがカンヴァスからあふれていた。」

「自らの不明を恥じたのと同時に、胸の中にわきあがってきたのは、甘美と言ってよいほどの喜びの衝動であった。」とも。

実は私も20代の頃フランス滞在中に、あらゆる美術館巡りをして、印象派の絵に対して茂木健一郎さんと同じ考えでした。ポンピドゥーセンターにあるようなキュビズムの絵がしっくりきて(今思うと青かったと思うのだけど。)、そしてそこで開かれる「現代音楽シリーズ」にも足繁く通って、身震いしたりしたものでした。

そしてある時、どこの美術館が所蔵していたのかわからないけど、モネの絵の「冬のシリーズ」がパリにやってきた。友達に誘われて心の中で「モネか~・・・」などと余り期待していなかったのだけど、行ってみると長蛇の列。真冬のパリで凍えそうになりながら、2、3時間くらい待っただろうか。

ふ~やっと入れたと思ってずっとうつむき加減だった顔を上げると、真正面に大きなカンヴァスに真っ白な雪の降り積もった田舎のシンプルな絵が、ガーンと目に入ってきた。

一瞬息を呑むような輝きのある何とも言えない雪の質感に吸い込まれそうになりました。(あ、よくモネの冬のシリーズの代表作みたいに紹介される絵は私は余り好みじゃないです。もっと他にいい絵があるのになぁ。)

あ・・・・・恥ずかしい。茂木さんのように自分を恥じたのですが、もうその事を忘れてその絵から立ち去れなくなってしまい、友達がどんどん前に進んでいくのもお構いなしに、その場に立ちすくんでいたのでした。昔は絶対に好きになれないと思っていたルノワールの絵も今では好きだ。幸福感に満ち溢れている。見ていると優しい気持ちになるのです。

絵のお話しが長くなってしまいましたが、実は茂木さんともう一つ共通の趣味があって、それはセンス・オヴ・ヒューモアの好み。イギリスでお笑いに革命を起こしたコメディアンのグループ「パイソンズ」が昔私も好きで、茂木さんの脳も刺激していたのをツィッターで知り、センスって、一つの事が重なると、他のことも全部繋がっていくのですね。

真夏の小さな小さな出来事なのでした。

2013年9月7日土曜日

古楽器演奏会。

昨夜はフランス・ブリュッヘンの次世代を代表するエヴァ・レジェーヌさんのコンサートに知人のリコーダー奏者もジョイントするということもあり、足を運びました。
 
左の写真は私が小学生の頃、父がよくかけていたブリュッヘンのレコード、ヘンデルの木管のためのソナタ全集。
 
そのブリュッヘンのお弟子さんの演奏を間近で聴くことになるとは、何だか不思議な感じがして、感激してしまいました。
 
体の中を空洞にして余計な力が抜けている様子は、自由自在に音楽を楽しんで吹いているようで、とても軽やか。
 
1700年代のガンバは300年弾きこんだ歴史を感じさせる重厚で気品溢れる音で、ヴァイオリン属ではなく、6本ある弦に、4度と3度の楽器というだけあって、ギターの仲間だということがわかるような気がする。

重音やアルペジオが多く、ギタリストにしてみればちょっと演奏意欲をそそられる感じですね。
 
チェンバロはイタリアのもので音域が狭い可愛らしいものでした。
 
子供の頃にレジェーヌさんの録音を真似て夢中になって吹いていたというリコーダー奏者の吉嶺氏は、レジェーヌさんの隣でまるで童心に返ったかのように無邪気に演奏していたのでした。
 
時を経て、このような音楽の出遭いがあるのは、なんとも人生とは素敵なもの。
 
"C'est La Vie." なのでした。
 
  

2013年9月4日水曜日

フランス語と音色の関係について。

最近まだ始めたばかりだけど、フランス語を教え始めてハッと気付かされたことがある。

それはフランス語の母音の多様さをあらためて考えた時に、これはもしかしたら私がギターを弾く時、音色の変化にこだわっている事と何か関係しているのかもしれないと思った。

母音が鼻母音も含めて16種類もあると言う事は、それだけ発音が微妙で変化に飛んでいるということ。それをフランス留学中に浴びるように聴いて話したことで、体の中に沁みわたりギターの音で無意識に再現しようとしていたのではないかと。。。

タッチやアタックの角度を微妙に変えることに没頭するのは、きっとその16種類の母音が影響しているのかもしれない。それを声だけでなくギターでも発音、表現しようとしていることに今になってやっと気づきました。

時に耽美的だったり、ふくよかだったり、奥行きがあるけど曖昧な音色だったり、またRのようなノイジーな音だったりするのは、「そこで必要」だと思っているからやっているわけで。それはもちろん様式や曲想によって、こだわり方が変化してくる。

そんなことに気付くと、音楽もフランス語もまた一層、楽しさが増してくるのですね。。。

2013年8月29日木曜日

夏の終わりに。


先日はマリオネットさんのプライベートコンサートのお誘いが当日急にあり、どうしようかと一瞬迷いましたが、いつまた拝聴出来るかもわからないと思い飛んでかけつけました。

パートナーの吉田さんはマンドリュート、ギター、マンドリンと演奏なさいますが、今回はマンドリンを沢山演奏してくださいました。ドイツのケルン音大で学んでらっしゃいます。

ファドの合間に蘇州夜曲を弾いて下さった時のマンドリンの音色が未だかつて聴いたことがないような、なんとも柔らかく優しいトレモロで、一瞬涙が出そうになりました。

もちろん曲想によって弾き分けているのでしょうけど、それは単にトレモロの音が良かったというだけでは感動しなかっただろうと思います。音楽性も含めて良かったと思えたのですね。

このような抒情的でシンプルな曲は余りにも情感を込め過ぎてもうっとうしくなってしまいますし、かと言って淡々と弾くのもその人の歌心の無さを疑われてしまいます。

しかし吉田さんの演奏は情感や歌心のバランスがとても良く、これが「センス」というものではないだろうか、と思いました。

また、その感動を味わうことが出来たのも湯浅さんの楽器編成などのお心遣いがあってこそだったのかもしれませんね。ライブの間は本当に優しい時間が流れていました。

前日には「近くまできている。」と連絡をくださり急にお会いすることに。音楽の話し、それにまつわる興味深いお話し、今後のアドヴァイスをして下さったりと有難い時間を過ごしたのでした。

夏の間は最近始めたフランス語講師として在籍している語学スクールの子供たち30人と先生方7、8人で1泊2日のキャンプ、ナント美術館の学芸講座、リコーダーとのアンサンブル、親戚の別荘で過ごしたお盆休み、花火大会、夏祭り・・・と決して華やかではないけど、しばらく忘れていた何気ない日常が私にとっては、とても新鮮で全て楽しく過ごしました。

夏のしめくくりは、心を洗い流しにお気に入りの海を見に行こう。

そこはひっそりとした場所で、誰も知らない美しすぎる透明感と寂しさを感じさせるところ。

その寂しさを感じながら、一人静かに眺めるのが好きなのです。

☆マリオネット http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=s4BHEy_-xlc

2013年6月22日土曜日

La Vie en Rose BonbonⅡ。


私はフランス語のLa Vie という言葉が好きだ。英語のLife、だともう少しカジュアルな響きになるし、日本語の人生、となると何だか重々しい感じに聴こえる。

それが人生さ。というのはフランスでの決まり文句。楽しくも悲しくも聴こえる、憂いがあって尚且つそこに輝きを放っている。そう、「それが人生さ。」"C'est la vie."。大人にならないとわからないニュアンスですよね。フランス人の好きな哲学的な響きにも聴こえる。

Bonbon というのは京都のおぼっちゃんではなくって(笑)、昔ウィスキーボンボンてあったけど、今は色んなフルーツやナッツを詰め込んでチョコレートでコーティングしたお菓子だ。

ボンボンていう響きも可愛いし、チョコレートの中に色んなものを詰め込んでることが、子供たちのあらゆる可能性を詰め込んだ夢のお菓子みたいで、子供を連想させる。

その大人と子供の間に、Rose というバラ色という言葉で結びついているのが、何となくいいなと思ったわけで。ゲンズブールのヒット曲「夢見るシャソン人形」の歌詞の一節なのだけど、特にこの曲が好きで、このフレーズを使ったわけでないのだね。

フランス語は昔ヨーロッパの貴族の公用語だったそうだけど、今でもその名残があって、ヨーロッパをあちこち講習会や演奏旅行で旅をすると英語よりフランス語のほうが通じたりするものでした。

ポルトガルで大使館関係者のお宅でティータイムコンサートをした折に、急に王族の方の主催でリサイタルをやりませんか、と言う話しになり、その方のお屋敷に昼食を兼ねて打ち合わせに招かれたことがある。その時に、大分長い間話していなかったフランス語でコミュニケーションすることになったのだけど、冷や汗ものだったのは、その王族の方がフランス語で哲学の話しを始めた時だった。

一瞬、冷っとしたのだけど、幸い高校生の頃に哲学関係の本を読んでいたので遠い昔の記憶を辿って、なんとか会食は無事終了。その時フランス語で哲学の話しをしたことで気に入って頂いて、教会でのリサイタルはこれ以上ないというくらい良くして頂きました。

その方の良いリサイタルにしたいという想いとお客様、そして私の想いが全部一致して素晴らしいものになったのでした。フランス語でとても得をしたというお話しですね。

輝きの "C'est La Vie." なのでした。。。 

2013年6月14日金曜日

La vie en rose bonbon Ⅰ。


先日、ある媒体にフランス語について書く機会があり、「語学と音楽には密接な関係があって、ヨーロッパの言語は子音が立っている為、息のスピードが速く、音程やアーティキュレーションなど西洋音楽のアプローチと共通している。」というような事を書いた。

それは20代の頃、ヨーロッパに留学して音楽耳で語学の習得をした結果、自分で見出したロジックだったのだけど、最近読んだ語学学校の老舗「アテネ・フランセ」のテキストの中で、講師の方が同じことをおっしゃっているのを発見したのです。

「フランス語学習のコツとは、フランス語固有の音と、リズムやメロディーとを体得することにつきます。」

「発音などは通じればよい、という態度の人の学習は、必ず伸び悩みます。」とも。

そういえば、イギリスに行った時、イタリアやスペインに行った時も、その国の言葉の持つ、特有の発音やリズムや音程などを、常に本能的に音楽を聴くように覚えていました。

それを自分の中だけで今まで思っていたのですが、アテネ・フランセのテキストを監修している先生が同じ事をおっしゃっていたことが、とても嬉しく思えたのです。一見何となく誰でも思いがちのことを、こういう方が言い切ってくださると、何だかスッキリ!します。

音楽を学ぶように語学を習得する、当たり前のようですけど、これって楽しそうですよね!



 


2013年6月11日火曜日

スロージョギングⅢ。


毎日、毎日ムキになって体を鍛えている。今日も体が痛くて我慢が出来ずに痛み止めを飲み(体に悪いので止めようと思うのだけど。)、練習以外に何か出来ることを、と本を読んだりしてみるが、痛みで集中出来ない。

こんなに毎日転げまわっていても焦るばかりなので、重い腰を上げて例のスロージョギングを。痛いところに鍛えたら尚更と思いがちだが、私の場合はこれは今の状態に合っているのか、その後の体の調子は少し軽くなるようだ。

こんなことを書いたら仕事を頼みづらくなるだろうと思って、仕事の為には本当は書かないほうがいいのかもしれないが、ブログに書くということは、「私は頑張る。」ということを公言する事になるので、自分を追い込む為にあえて書くというポジティヴな発想なのです。

やる気は物凄くあるのに、体が思うようにいかないのは何とももどかしいものだ。それはきっと、同じ思いをした人にしか分らないと思う。

でもいいのだ。自分で切り開いていくのです。そしてメラメラと燃えている体の中に渦巻いている情熱を、鍛えて鍛えて鍛え抜いていつの日か全開で放出するのだー!!

はぁ~暑苦しい文章になったねぇ~。

2013年6月5日水曜日

スロージョギングⅡ


スロージョギングを始めて1週間くらいになる。今までもっぱらウォーキングだったので、ジョギングはとてもじゃないけど、と思っていた。しかし、スロージョギングだとまた別物みたい。

最初はたった15分でもへとへとだったのが、2回目は25分、今日はあっという間に35分続いた。
もちろん、上半身の筋トレも欠かさないが、太ももを鍛えると上半身も自然と鍛えられていくというのが、ちょっとだけわかるような気がした。我慢できないような左半身の痛みが軽減されたように思うのは気のせいか・・・?

しばらく続けてみたら、きっとその成果がわかるだろう。。。

ウォーキングが脳の活性化に良いというのは昔から言われていることだけど、スローウォーキングは足裏への刺激がもう少しあるのか、快のホルモンが軽いトランス状態を作り出すような感覚もあるのかな。妙に心地よいのだ。

今まで、痛くなってはシップと鎮痛剤、痛くなってはマッサージに整体と繰り返してきたけど、良くなるのは一時的。考え方を変えて、弱った、または痛めた筋肉を、鍛えることで痛みがなくなるのではと思い日々がんばっています。もちろん、夜寝る前と朝起きた時のストレッチも欠かせません!

また時々、スロージョギングの経過報告しますね☆

2013年6月1日土曜日

バロックⅡ


私が何でバッハが好きなのかは父の影響で、で父は何でバロックが好きだったんだか想像してみた。いや、それがおそらくもう55年ほど前だと思われる一枚の写真がある。

それには父のギターと父の従弟のなんとヴィオラ・ダ・ガンバの二人のデュオが写っている。戦後10年後くらいの写真だ。こんな時代によく鹿児島のような田舎にガンバがあったものだ。最初に見つけた時は驚いてしまって、本当にガンバかどうか入念に調べてみたが、本当にそうだ。

どうやって入手したのかご本人に聞いてみたいところだが、昔私が子供の頃、その従弟の方が何度か家にいらした事があるけど、今はどこにいるのだろうか・・・。その頃の鹿児島の音楽事情がどうだったのかわからないが、その方は東京の大学に行っていたので、もしかしたら東京から持ち帰ってきたのだろうか?

で、結局何が言いたいかというと、ガンバと一緒に演奏していたということがきっかけでバロック好きになったのかなぁ~と思ったわけです。どちらが先かわからないけど。

バロックⅠ。


昨日は、2年前からリコーダーを始めたというグラフィックデザイナーの友人のところへ行ってきた。

お互いルネッサンス~バロック期の楽譜を持ち寄って。彼女はリコーダーに相当のめり込んでいて、先日も東京のすみだトリフォニーでの「ブリュッヘン×アヴデーエワ×18世紀オーケストラ」のコンサートまで出かけている。

「じゃっ、私が腕を取り戻すまで、もうちょっと待っててねっ!」「うん、いつでも美穂ちゃんが準備出来た時に!」と言ってバイバイまたね。

何で私が小学生の頃、バッハが好きだったかやっとわかった。単純に父がバロックが好きで、家でバロックのレコードがよくかかっていたからなのかも。今頃気付くなんて、何だか父の影響だと認めたくなくて、今まであんまり考えたことがなかったのかもしれない。よくわからないけど。

で、取りあえず始めやすいところでヘンデルのソナタをやることに。

父の持っているヘンデルのソナタ全集のレコードを聴きたいのだけど、何しろもうステレオが家にない。ピリオド楽器もレプリカではなく全てブリュッヘンやオックスフォード大学所蔵のオリジナル楽器だ。ううっ聴きたい。

やっぱり、写真も音もアナログが良い。質感が違う。生きている感じがするのだ。

だから、レコードで聴いてみたい。

スロージョギングⅠ。


今の私の仕事は体力作り。もともと仕事柄、昔から体を鍛えるのは日課となっていた。

音楽に縁のない人に、仕事の為にジムに行って筋トレしてると言うと「えっ何で!?スポーツ選手でもないのに。」とびっくりされる事がある。

クラシックギタリストは体力が要るのだ!

ここのところはウォーキングを続けていたのだけど、最近テレビで見た「スローウォーキング」というのを、ものは試しとやってみた。

節々の強化や体をしぼるのにも良いとか、太ももの筋肉を鍛えると上半身も自然と鍛えられていくとも聞いたので。

1回目は体が重くて、こりゃー続くかいね、と思いながらなんとか、15分がんばった。

で2回目、えっ?と思うほど心地よくて25分続いた。なんか、脳にも良い刺激があるのだそうで。脳も鍛えなきゃねっ。(!?)

きっと、それも含めていい感じだったのかもしれない。

なんか、これ、私に合ってるかも。しばらく続けよっと。

普通のジョギングをその名の通り、ちょっと遅すぎるかなというくらいのテンポでゆっくり、ゆ~っくり走るの。半歩ずつ進むような感じで。

2013年5月17日金曜日

模索Ⅱ。


先日のブログで、これからの音楽の方向性模索状態、と書いた。で、あれこれ考えていたら、私が16才の時に開催したリサイタル後に、現代ギター社からリサイタル開催後の感想や音楽観、何でも良いので「リサイタルによせて」みたいなタイトルで書いてほしいと依頼があったことを思い出した。

その時の文章の中に「私はクラシックを中心にジャズやロック、民族音楽色んなジャンルの音楽が好きです。これからは既成の音楽の枠を超えた所で表現していきたい。」(一部省略)と書いていた。

その言葉にハッとさせられ、16才の時の私に何か教えられたような気がしたのです。

でもきっとこれを見ている方々は16才で生意気な、とか若いね~なんて思われる方がいらっしゃるのかもしれませんけど。(苦笑)ただ、やみくもにそんな事は言っているわけではないので、一応その時のプログラムをご紹介しておきますね。

 (一部)                    
                              
 
 1.大序曲            ・・・ ジュリアーニ                       
 
 2.ファンタジー         ・・・ ヴァイス                    
 3.シャコンヌ           ・・・ バッハ          
 4.舞踏礼賛           ・・・ ブローウェル        
 5.魔笛の主題による変奏曲 ・・・ ソル  
 6.グラン・ソロ                          ・・・ソル           

(二部)
1.5つのプレリュード No. 1~5 ・・・ ヴィラ=ロボス
2.アラビア風奇想曲        ・・・ タレガ            
3.アルハンブラの想い出      ・・・ タレガ
4.トリーハ、マドローニョス    ・・・ トローバ 
5.ソナチネ              ・・・ トローバ
6.歌と部曲No.1          ・・・ ピポー

この時には200人のホールが満席、立見になりました。プロフィールにはないのですが、中学3年生のときにも小さいですが、50人くらいのリサイタルを開いていて、その時にはテデスコのソナタやブリテンのノクターナルなんかも弾いています。バロック、古典、ロマン派、近代、現代とやっているのがギタリストだったらわかりますよね。

まだまだ未熟ではあったのかもしれませんが、ただ録音を聴くと、全曲もちろん暗譜、ノーミスで弾いています。(ギターソロは基本的に暗譜、そして繊細な楽器なのでアクシデントの起こりやすい楽器なのです。プロのリサイタルでもちょっとしたミスは結構あるものです。)ちゃんとやる事をやって「既成の音楽の枠を超えたところで表現したい。」と言っているのです。

これは何も自慢をしているわけではなく、例えば16才という年齢で、中級クラスの曲をちょこちょこっとやって、同じ事を言ったら滑稽ですよね。だから誤解ないように説明させてもらっているのです。仕事上、立場上、誤解されたら本気で困るので。。。

ブログというのは、活動のお知らせだったり、読者に何か有益な情報を伝えたり、そんな役目がありますが、他に自分自身の確認の場でもあったりするのではないかな。

書いていくうちに、模索していることが段々わかってくるというか・・・ただ既成の音楽の枠を超えたところで表現といっても、その頃の私は何を考えてそう言ったのか、作曲するつもりだったのかわらないけど、今のところ作曲はするつもりはないかな。。。しようと思ってもそう簡単に出来るものでもないしねっ。

でも今後のヒントになったのは確かです。


 




2013年5月16日木曜日

体力づくりに励んでます。


ここ最近は朝7時に起床し、ウォーキング、筋トレを頑張っています。あ、でも私の場合は元々あった体力を更に強化するのではなく、元の体力や筋力に戻す作業をしているのですね。しばらく活動休止していましたので。

ギターの練習もやり出すと夢中になって何時間でもやってしまい、そのあとの体の痛みが最近ひどかったもので、ほどほどに焦らないで少しずつを心がけています。練習前後のストレッチ、呼吸法、脱力に気を遣っても間に合わない場合もあります。

そこで工夫して実際にギターを持たなくても練習出来るように、今日から譜面だけでイメージトレーニングし、最終的には譜面もギターも持たずに練習しようと思っています。

かと言ってやはり当たり前ですけど、最終的には楽器を弾かなければ本当の意味での練習にはならないのは言うまでもないですが。。。工夫しながらまた以前の生活に戻していけるように努めていこうということですね。

体が痛い時には、語学の勉強、編曲をこころがけたり、時間に無駄がないようにしたりと、今まで休んだことへの焦りを少しでも解消出来るように努力しています。

2013年5月14日火曜日

模索Ⅰ。


以前、3.11以降の音楽の方向性のことを書いた。まだ横浜に居る時に、震災直後に電車の中で若いサラリーマン達が「なんか人生観変わるよなぁ~。」と話しているのが聞こえた。

私も心の中で、「うん、そうそう人生観変わる=これからの音楽観も変わる。」と思ったものだ。

ところで、以前から気になっていた言語と音楽の関係について、もっと掘り下げて考えてみたいと思い、ロンドンデリー歌や庭の千草、サリーガーデン、蛍の光など、アイルランドやスコットランドの民謡がどうして日本人の心にしっくりくるのか、ということを常々考えていた。

英語でばかり歌われているロンドンデリーやサリーガーデンをゲール語で聴いてみた。もしかしたらゲール語に何かヒントがあるかもしれないと思ったからだ。

なるほど、と思った。音節が一つ一つ区切られている。それは日本語にも共通するものがあると思った。ドリア調やミクソリディア調も何か日本人の心をくすぐる何かがあるのかも、とかそんなことを考えていたら、急に奄美の島唄を聴きたくなった。

中孝介くんと共演した時に、ギター&パーカションでロンドンデリーの歌と、ソロでサンシンを弾きながら島唄も歌ってもらった。彼は本当に謙虚で心根の優しい人なのだよね。そんなのもあいまって良いなと思うのだ。

で、彼の島唄のCDを探していたら、その隣にスティーヴ・ライヒのCDがあったので、エレクトニック・カウンターポイントを久しぶりに聴いてみた。今聴いたらどんな感触を受けるのかと思って。

15年程前に、本気でこの曲をやろうと思って楽譜も入手して準備していたのが、手つかずでそのままになっていた。そうこうしているうちに、演奏する興味も次第に薄れてしまいました。

ただ、その曲はパット・メセニーという人を想定して作られたものだから、どうなのかな。私なんぞが演奏しても、その曲の良さは再現出来るのだろうか。メセニーの音を聴きながら手元にある楽譜と照らし合わせてみると、ジャズ・フュージョンのタイム感覚とかビート感とか、彼の弾くアコースティックギターの音色とかそんなのが組み合わさって、当時の私はいいと思ったに違いないと思った。だから昔やれなかったから、今やる、というのは何か違うような感じがした。

ただ、ミニマルのグルーヴ感とかずれの音の干渉?うーん、私には浮遊感だと感じる。なんかは聴いていて心地良いものだなとは思うけれど。特にドラミングなんかは。

ま、いいや。それよりこれから何がやりたいのか、ブログを書いたり、人と出会ったり、少しずつ練習したりしているうちに、「これ!」と思う時が来るのかな。





2013年4月4日木曜日

久々にイギリス時代の女友達と。


先日は、イギリスから帰省した女友達と(関東にいるので)電話で長い間積もる話しをした。

開口一番に「もうミホにさ~会いたくて会いたくてしょーがなかったよ~!!」というフレーズで始まった。同性の友人からこんなにラヴコールがあるのは嬉しい。電話だけでも、コンタクト取れて良かったとお互いの胸の高鳴りを静めたりなんかして。。。

これからは(イギリスに帰ってからは)スカイプで話そうよ、ということになった。彼女も男の子2人のお母さんになって更にたくましく、そして温かな女性になっていた。

独身の時には彼女のお父さんは映画の配給会社の社長だったこともあり、映画の買い付けにカンヌ映画祭に毎年来ていた。一度フランス留学中にカンヌで合流したことがあったけど、近くでいい所があるんだよ、とアンティーヴに連れていった。

アティーヴは南仏の小さな街で、ピカソが晩年すごしたお城を改装したアトリエがある、いわゆるピカソ美術館があるので有名だ。

晩年の作品を見るのも良かっただろうが、そのお城から見渡すオレンジ色の南仏の家々の屋根と白い壁、そして地中海のどこまでも広がる青い海とのコントラストに、彼女は感激したようだった。

今は家事と子育て、普段の休日にはご主人のヨットで、夏のヴァカンスにはフランスの別荘で過ごしているそうだ。いいねいいねぇ~。


お互い離れているけど、これからもお互いがんばろうね。彼女も私も、それぞれ、それなりに苦労してきたことが今回わかったからなぁ・・・。ここでは苦労話なんて書けないから。




2013年3月23日土曜日

これからの音楽。

2011年、3.11の東日本大震災のときに、とっさに思ったこと。

それは、私達音楽家に何が出来るのか。あの時には、ただただ自分に出来る許容範囲内で、本当にわずかなことだったかもしれないが、考え、走り回った。

そして次に思ったことは、これからの音楽の方向性だった。


自分自身への問いも含め、今までの音楽の在り方は何かとても違和感を感じるようになった。いや、私は最初から違和感があったが、生きていく為に妥協してきたのかもしれないと思う。

やはり、芸術は人の為にあるものだ。だからと言ってただわかり易い安易な曲をやればいいというわけではなく、新しいものを生み出しつつも、クラシックを知らない人も、ギター音楽って何?という人にも、心の中へスーッと温かく入り込んでいく音楽をやりたいな、と震災以降思うようになったのだ。

もちろん、音楽学生やマニアのことも考えている。すごく考えている。真剣に考えている。

だけど商業主義の上辺だけの音楽はもう終わりにしたい。


震災後、誰もが何もかもが行き過ぎた、と感じたと思う。自然破壊や社会の在り方、家族の大切さなどあらためて考えたのではないか。しかし皆忘れている。音楽も行き過ぎていたと思わなかったのだろうか。。。


これからは、どのように音楽を通して人とコミュニケーションしていくか、模索中だ。





2013年3月6日水曜日

パリの屋根の下のフーガ。

先日、ブログで「パリに居る頃の私は覚醒していた。」という話しの続きです。。。


パリでエコール・ノルマル音楽院のギター科に留学していた頃、ギターを強要されないで、自分自身の意志で学ぶことがこんなにも楽しいものかと、取り憑かれたように寝ても覚めても練習、練習で一滴の学びも逃したくないと思っていた。

それは通りを歩いていも音楽のことばかり考えて、道行く人にぶつかってしまうほど、友人とレストランで食事をしていも「早く帰って練習したいなぁ。」と思うほどだった。

しばらく、元教師のフランス人マダムの家にホームスティした後に、17区のアパルトマンで一人暮らしをしていた。パリでよく見かける白い格子の窓を開けると、真正面に程良い距離感でエッフェル塔が見える。

フランス人の友人にもらった木製のソファに、マーケットで買ってきたファブリックを自分で縫い合わせカーテンやベッドカバーにしたりと、アンアンに出てくるようなちょっとしたフランス田舎風のインテリアが毎日の生活を楽しくしてくれた。

それはそうと、学校が休みの時にお昼頃から練習を始めて、まだ練習したいけど、そろそろ夕飯を食べなきゃ、と時計の針を見ると、ギョギョッ!夜中の12時を過ぎていることがしばしば。

で、先日書いたブログでの森羅万象と言う本の中の一節。

「覚醒者の特徴の一つには、時間の超越があります。人間は、長年にわたり意識の集中を鍛錬すると、意識の深い領域が現れてきます。例えば、一芸に秀でた人が長年その得意な作業に忘我で臨み続けると、仕事とはまったく関係のない、人生の意味を感じだす。人間の心とは宇宙のように奥深いものなのです。」

パリでの私がまさにそうだったかもしれない。進級試験(フランスではこれをコンクールと呼ぶ。)にバッハのプレリュード・フーガ・アレグロからフーガが課題曲になったが、それを機に、コンクールが終わった後も、よくもまぁ飽きもせずにこの曲ばかり毎日毎日永遠と弾き続けていた。

フーガとは簡単に言えば、ひとつの主題があって、各声部に定期的に模倣反復が出てくるバッハやヘンデルによって確立されたものなのだが、この繰り返しテーマの部分を各声部の中で聴くことによって、何か曲の中、あるいは体の中で大きなグルーヴ感を生みだしていたのではないかと思う。

練習をする時には、必ずこの曲をまず弾いて、その他の曲に臨むという繰り返しを数年続けた。これは練習を始める際の儀式のようでもあった。今考えれば、その曲は私にとって、一種の瞑想になっていたのかもしれないと思う。弾いているうちにとても穏やかで心の深いところまでいけるような、そんな時間だった。
 
 

その曲が課題曲になった年の進級試験は、全員一致の1位でした。

自慢しているわけではなく、その時の覚醒していた演奏が審査員たちに空気の振動で伝わったのではと思ったのです。

2013年2月15日金曜日

音楽Ⅰ。

先日、お世話になっている知人のギター製作家に私のCDを送ったところ、とても気に入ってくださって、届いてからここ数日の間30回以上は聴いているとお褒めの言葉を下さった。

どこにその魅力があるのだろうと、今探している最中とのこと。呼吸法かな?と書かれていた。

時々、そんなに沢山ではないけれど、国内外問わず自分でも面喰って呆然としてしまうような良い感想を頂くことがある。言葉にするとなんだか、自惚れているみたいだし、ちょっと気恥ずかしいので具体的には書きませんね。。。


そこで音楽とはなんぞやということを、あらためて考えてみた。
「呼吸法」と「呼吸」、とは意味合いが違うが、ここでは呼吸ということについて書いていみる。


おおざっぱに言えば音楽=呼吸で、音楽家を目指す者であれば常に呼吸は感じているだろうし、重んじているだろう。でもその根底には単なる呼吸ではなく、歌がなければその音楽に魅力は感じない。

歌と言っても、単に楽しいとか悲しいというだけでは、人の琴線に触れることはないのではないかと思う。その人が持っている宇宙的な感覚、魂が(人が生まれてくること自体宇宙的だから。)楽器を通して聞こえてくるのではないかと思う。


人生がとても奥深く、微妙で無限であるように、音楽を表現するときも私たちが元々生まれながらにして持っているものと、人生の中で経験する色んな感覚や感情、聴いてきた音楽が共鳴し合って、その人の感受性になっていく。


持っている身体能力や遺伝子に加えて、環境もさまざま、経験することも人によってさまざまだ。

大切なのは、何かを経験したとき、体験したときに、そこで感じる、気づく、考える、ことが大事だと思う。皆が同じでなくていいし、また同じであったら世の中面白くないだろう。。。

もちろん、これらのことは、それを操る技術があることが前提なのだけど。


技術的なことは、一言で言えば「ゆっくり練習すること。」それも自分が思っている以上にゆっくりと。そんなの当たり前で常識だよ、という声が聞こえてきそうだが、慣れてくると意外と忘れてしまっていることがあるし、それを根気強く続けるのは結構大変なことだから。私は楽しいけど。(笑)


出来ないことをテンポで弾いてはできず、弾いてはまたできず・・・と繰り返ししていると出来ないことを指と脳にわざわざ覚えこませているようなもの。(自分にも言い聞かせながら書いてます。)


20年前、留学中にエコール・ノルマルの友人から出来ない部分を指だけで練習しているからいけないんだよ、用は脳の問題なんだ。と言われ帰国してからその事を随分研究したことがあった。


小さい頃、学校のある日は3時間、日曜日と夏休みは8時間、一日も休まずに練習していた頃は特に工夫しなくても弾けていたけれども、だんだん大人になっていくと、そうもいかなくなるし、また、求めるものがレベルアップする。そんな時は、脳から指に指令を送る。

「上達する工夫の引き出し」はまだまだ沢山あるけれども、ゆっくり練習することから始めると、仕事や勉強で疲れた頭と体には手っ取り早い方法だろう。きっと今まで気づかなかったことに気付く。


話しは前回の「森羅万象」の続きだが、覚醒者の特徴の一つには時間の超越がある、と書かれていたが、それは当然そうだろう。(宗教とは関係ありません。私には音楽があるので。大事なのは先祖供養とご縁のある人たちに日々感謝するだけです。)

それを考えると、私はパリにいるときは覚醒していたと思う。またあの時のように戻りたい。


続きはまた次回。