2013年5月14日火曜日

模索Ⅰ。


以前、3.11以降の音楽の方向性のことを書いた。まだ横浜に居る時に、震災直後に電車の中で若いサラリーマン達が「なんか人生観変わるよなぁ~。」と話しているのが聞こえた。

私も心の中で、「うん、そうそう人生観変わる=これからの音楽観も変わる。」と思ったものだ。

ところで、以前から気になっていた言語と音楽の関係について、もっと掘り下げて考えてみたいと思い、ロンドンデリー歌や庭の千草、サリーガーデン、蛍の光など、アイルランドやスコットランドの民謡がどうして日本人の心にしっくりくるのか、ということを常々考えていた。

英語でばかり歌われているロンドンデリーやサリーガーデンをゲール語で聴いてみた。もしかしたらゲール語に何かヒントがあるかもしれないと思ったからだ。

なるほど、と思った。音節が一つ一つ区切られている。それは日本語にも共通するものがあると思った。ドリア調やミクソリディア調も何か日本人の心をくすぐる何かがあるのかも、とかそんなことを考えていたら、急に奄美の島唄を聴きたくなった。

中孝介くんと共演した時に、ギター&パーカションでロンドンデリーの歌と、ソロでサンシンを弾きながら島唄も歌ってもらった。彼は本当に謙虚で心根の優しい人なのだよね。そんなのもあいまって良いなと思うのだ。

で、彼の島唄のCDを探していたら、その隣にスティーヴ・ライヒのCDがあったので、エレクトニック・カウンターポイントを久しぶりに聴いてみた。今聴いたらどんな感触を受けるのかと思って。

15年程前に、本気でこの曲をやろうと思って楽譜も入手して準備していたのが、手つかずでそのままになっていた。そうこうしているうちに、演奏する興味も次第に薄れてしまいました。

ただ、その曲はパット・メセニーという人を想定して作られたものだから、どうなのかな。私なんぞが演奏しても、その曲の良さは再現出来るのだろうか。メセニーの音を聴きながら手元にある楽譜と照らし合わせてみると、ジャズ・フュージョンのタイム感覚とかビート感とか、彼の弾くアコースティックギターの音色とかそんなのが組み合わさって、当時の私はいいと思ったに違いないと思った。だから昔やれなかったから、今やる、というのは何か違うような感じがした。

ただ、ミニマルのグルーヴ感とかずれの音の干渉?うーん、私には浮遊感だと感じる。なんかは聴いていて心地良いものだなとは思うけれど。特にドラミングなんかは。

ま、いいや。それよりこれから何がやりたいのか、ブログを書いたり、人と出会ったり、少しずつ練習したりしているうちに、「これ!」と思う時が来るのかな。