2013年9月22日日曜日

茂木健一郎とパイソンズ、そしてモネ。


夏の間は、現在改装中のナント美術館所蔵の絵が日本にやってきて、その学芸講座を受けてきた。応募者が多かったので抽選だったのだけど、当たった!のでした。

講座終了後に展覧会を見て回り(観ているうちに気付いたのだけど、実はナント美術館はフランス留学中に行っていたのでした。)、その帰りに美術冊子をパラパラとめくっていたら、茂木健一郎さんの連載で「睡蓮は輝く」というタイトルに目を奪われました。

「青年の頃は印象派の絵に余り好意を抱いていなく、万人受けすぎるし、やさしすぎて、尖っていない、そんなイメージがあった。そんな思い込みを払拭したのが、オルセー美術館でモネの日傘をさす女性を見た瞬間、衝撃を受けた。生きることの喜び、切なさがカンヴァスからあふれていた。」

「自らの不明を恥じたのと同時に、胸の中にわきあがってきたのは、甘美と言ってよいほどの喜びの衝動であった。」とも。

実は私も20代の頃フランス滞在中に、あらゆる美術館巡りをして、印象派の絵に対して茂木健一郎さんと同じ考えでした。ポンピドゥーセンターにあるようなキュビズムの絵がしっくりきて(今思うと青かったと思うのだけど。)、そしてそこで開かれる「現代音楽シリーズ」にも足繁く通って、身震いしたりしたものでした。

そしてある時、どこの美術館が所蔵していたのかわからないけど、モネの絵の「冬のシリーズ」がパリにやってきた。友達に誘われて心の中で「モネか~・・・」などと余り期待していなかったのだけど、行ってみると長蛇の列。真冬のパリで凍えそうになりながら、2、3時間くらい待っただろうか。

ふ~やっと入れたと思ってずっとうつむき加減だった顔を上げると、真正面に大きなカンヴァスに真っ白な雪の降り積もった田舎のシンプルな絵が、ガーンと目に入ってきた。

一瞬息を呑むような輝きのある何とも言えない雪の質感に吸い込まれそうになりました。(あ、よくモネの冬のシリーズの代表作みたいに紹介される絵は私は余り好みじゃないです。もっと他にいい絵があるのになぁ。)

あ・・・・・恥ずかしい。茂木さんのように自分を恥じたのですが、もうその事を忘れてその絵から立ち去れなくなってしまい、友達がどんどん前に進んでいくのもお構いなしに、その場に立ちすくんでいたのでした。昔は絶対に好きになれないと思っていたルノワールの絵も今では好きだ。幸福感に満ち溢れている。見ていると優しい気持ちになるのです。

絵のお話しが長くなってしまいましたが、実は茂木さんともう一つ共通の趣味があって、それはセンス・オヴ・ヒューモアの好み。イギリスでお笑いに革命を起こしたコメディアンのグループ「パイソンズ」が昔私も好きで、茂木さんの脳も刺激していたのをツィッターで知り、センスって、一つの事が重なると、他のことも全部繋がっていくのですね。

真夏の小さな小さな出来事なのでした。

2013年9月7日土曜日

古楽器演奏会。

昨夜はフランス・ブリュッヘンの次世代を代表するエヴァ・レジェーヌさんのコンサートに知人のリコーダー奏者もジョイントするということもあり、足を運びました。
 
左の写真は私が小学生の頃、父がよくかけていたブリュッヘンのレコード、ヘンデルの木管のためのソナタ全集。
 
そのブリュッヘンのお弟子さんの演奏を間近で聴くことになるとは、何だか不思議な感じがして、感激してしまいました。
 
体の中を空洞にして余計な力が抜けている様子は、自由自在に音楽を楽しんで吹いているようで、とても軽やか。
 
1700年代のガンバは300年弾きこんだ歴史を感じさせる重厚で気品溢れる音で、ヴァイオリン属ではなく、6本ある弦に、4度と3度の楽器というだけあって、ギターの仲間だということがわかるような気がする。

重音やアルペジオが多く、ギタリストにしてみればちょっと演奏意欲をそそられる感じですね。
 
チェンバロはイタリアのもので音域が狭い可愛らしいものでした。
 
子供の頃にレジェーヌさんの録音を真似て夢中になって吹いていたというリコーダー奏者の吉嶺氏は、レジェーヌさんの隣でまるで童心に返ったかのように無邪気に演奏していたのでした。
 
時を経て、このような音楽の出遭いがあるのは、なんとも人生とは素敵なもの。
 
"C'est La Vie." なのでした。
 
  

2013年9月4日水曜日

フランス語と音色の関係について。

最近まだ始めたばかりだけど、フランス語を教え始めてハッと気付かされたことがある。

それはフランス語の母音の多様さをあらためて考えた時に、これはもしかしたら私がギターを弾く時、音色の変化にこだわっている事と何か関係しているのかもしれないと思った。

母音が鼻母音も含めて16種類もあると言う事は、それだけ発音が微妙で変化に飛んでいるということ。それをフランス留学中に浴びるように聴いて話したことで、体の中に沁みわたりギターの音で無意識に再現しようとしていたのではないかと。。。

タッチやアタックの角度を微妙に変えることに没頭するのは、きっとその16種類の母音が影響しているのかもしれない。それを声だけでなくギターでも発音、表現しようとしていることに今になってやっと気づきました。

時に耽美的だったり、ふくよかだったり、奥行きがあるけど曖昧な音色だったり、またRのようなノイジーな音だったりするのは、「そこで必要」だと思っているからやっているわけで。それはもちろん様式や曲想によって、こだわり方が変化してくる。

そんなことに気付くと、音楽もフランス語もまた一層、楽しさが増してくるのですね。。。