2014年2月17日月曜日

練習するということ。



練習中にふと思いました。常々思っていた事ではあったけど、やはり練習することでしか見えてこないものがあると改めて思いました。今日、あるスペインものの曲で以前はいくらやっても納得いかなかった部分が長い年月を得て出来るようになりました。

それは技術的に出来なかったというよりは、求める音楽にそぐわない技術だったがゆえに自分で納得がいかなかった、という事です。

今は情報にあふれていて、何でも手に入り学ぶ環境は私が子供の頃よりはるかに良いし、技術と知識を得る作業だけはショートカット出来ます。そしてそんなにがむしゃらに練習しなくても、合理的に技術を習得出来るようになってきています。

それはそれで、技術向上の為や時間や体力の無駄を省けるので良いことなのですが、ストイックに練習を続けることを「ダサい事」のように見ている人達も沢山いるように感じます。


桜島は何度見ても飽きません。そして年月を得て山の様子も年月を重ねて変わっていきます。毎日色や風合いが違い、いつ見ても飽きないしまた新たな発見があったりします。

音楽も同じではないかと思っています。試行錯誤を続けて、発見すること、見えてくることがあるように思えてなりません。

そこで重要なのはただがむしゃらに練習するのではなく、当然のことながら何故出来ないのかを考えること、そしてそこに音楽的追求があってこそ、技術も向上するのだと思います。

能動的に練習することが減ってきているがゆえに、昔に比べると最近の奏者は音楽的に希薄になってきているような気がします。誰もがということではありませんけど。傾向としてということです。

「そんなに練習しなくても出来る」を誇張させるような風潮を先輩達が作ってしまうと何だか戸惑いを感じます。。。

これは一般論です。特定の個人に対する文章ではありませんので念の為。