2011年12月3日土曜日

もうすぐクリスマスですね。

今まで、載せたかったけど、どうしようかと2年間戸惑っていた日記を公開。

クリスマスの時期になって、今朝目が覚めたらふとそのことが頭をよぎったので。


去年のクリスマスはフードコーディネーター件お料理の先生の素敵なスタジオにて、私の演奏を交えて20数名でクリスマスパーティーで盛り上がった。あの頃は楽しかったな。

そして、一生忘れ難い、おととしのクリスマス、12月25日、スィートベイジルでのビッグなクリスマスプレゼント☆

それは私が小学生の頃から憧れだった加山雄三さんにご対面出来たことだ。日野照正さんの恒例のクリスマスライブのシリーズにいつもトリでゲスト出演される。



ここに至るまでの話しがまた不思議なストーリーなのだ。

私が小学生の低学年の頃だっただろうか、テレビをぼんやり眺めていたら、加山雄三さんがステージの奥から颯爽とダンディな雰囲気で登場し、歌い始めた彼にくぎ付けになってしまった。

私からするとお父さんくらいの年代なのに、何故小学生の私がその姿に胸をトキメかせたのか解らない。しいて言えば、幼稚園の時にフランク・シナトラが好きだったから、ダンディな雰囲気と声がもしかしたらそれとオーバーラップしてしまったのか・・・。

特に理由はわからない、子供だから本能的に好きになっただけだ。それからというものの、毎日胸をときめかせて、夢の中まで登場する始末(笑)。


と、それから数年後、小学6年生の頃に、大阪の叔父の家で皆でまたぼんやりとテレビを見ていたら、加山雄三さんが。。。「実はね、」と叔父が話し始めた内容に驚いてしまった。

嘘のような本当の話。「実は加山雄三さんのお父さんの上原健さんは元々鹿児島で、うちと繋がっているのだよ。遠縁なんだよ。」と。

具体的にどういう風に繋がっているかは、ここではプライバシーになるので書かないが、叔父の話に耳を疑った。叔父は私が実はひそかにファンだという事は知らない。そして私自身も、まだ幼かったので、本当のことを叔父には話さなかった。なんか、凄いことになっていると、その当時思ったものだ。

それから、数十年の月日が過ぎ、そのことを全く忘れていた。鹿児島の実家から横浜で一人暮らしを始めて間もない頃、日野照正さんのグループのピアニストが知人で、たまたまクリスマスに恒例の加山さんがゲスト出演する話を聞き、ライヴで彼の歌を聴くのは今しかない!と思い、直ぐに予約。(だって、一番盛り上がっていた子供の頃は、彼のライブに行ったりやレコードを買う余裕や機会がなかったからね。)

ピアニストの知人にはちょっとだけ、加山さんのいきさつを話したが、実際にお会いする話は遠慮させてもらうつもりだった。私にとっては生加山雄三を見るだけで充分幸せだったので。がしかし、知人がご本人に話しをしてくれて、お会いするチャンスを作ってくれた。ご本人も快く承諾。ライヴ後は来客で一杯になるので、コンサートの前のほうがゆっくりお話出来ますとの配慮も。

ドキドキしながら知人に連れられて、楽屋へ。

うぉ~生加山雄三さんだ!かっこいい~!!ダンディなオーラは昔と変わらず。「いや~嬉しいね!」と喜んでくださった。私のCDもお渡しして、昔ビートルズが来日した際に、直接会う事が出来た数少ない芸能人の方の一人で、ビートルズと一緒に写っている写真を見せて下さったり、湘南でサザンの桑田圭祐さんとのライブのお話などで盛り上がった。

ライヴでも、日野さんとの共演ということもあり、ジャズのスタンダードを沢山歌ってくださり、もうメロメロだ。以前からフランク・シナトラと重ね合わせていた私は、彼は英語の発音も凄く上手いし、何かジャズのスタンダートを歌ったらいいんじゃないかと日頃から思っていたから、その夢も同時に叶い、これ以上はないというくらいの、何とも素敵でビッグなクリスマスプレゼントとなった。

年を取るごとに声は衰えていくはずなのに、73歳にして私が言うのもおこがましいが、以前よりますます歌が上手くなっていて、彼のオリジナルはもちろんのこと、ジャズのタイム感覚も歌いこなしていて、凄い!とあらためて感動してしまった。

しかし、遠縁だということを知らずに、小学生の時にファンになったことも不思議だし、叔父に「実は遠縁なんだよ。」と聞かされたときに、お会いしたいと率直に思ったが、子供心にこう思ったものだ。

「焦らなくてもいい。黙ってギターを黙々と弾いていれば、いつかきっと会える日が来る。」と。


その日が、2009年の12月25日、クリスマスの日だったとは。




2011年8月1日月曜日

GGサロンコンサートのお礼♪

7月29日の現代ギター社GGサロンコンサートが無事終了しました。

お越しくださいました皆さま、お忙しいところ本当にありがとうございました♪

一部の最後の曲でちょっとくらくらきましたが、何とか最後まで弾ききり、二部ではタンゴ・ヴァイオリニストの会田桃子さんが加わり華やかになりました。

二部はピアソラの曲の中でも比較的クラシカルな作品。しかし、さすがに桃子さんはアルゼンチン仕込み!今まで沢山の方とこの曲を演奏してきたけど、彼女は突出していました。

音が香り立つ、と言えば良いのかな。うん、いい音していた。人柄も舞台では堂々としているのに、とってもチャーミング、当日に初めてお会いしてリハーサルもそこそこに本番に臨んだのだけど、一緒に演奏していて、とても波長が合って楽しかったなぁ。

今度はもう少しポピュラーよりのピアソラやジョビンなんかもやりたいな。

2011年7月24日日曜日

目に見えないオンリーワンの芸術。

東京のどんよりした今日の空を眺めて一人想う。

芸術の中で唯一目に見えないものとして、音楽がある。

絵も目に見える。彫刻も形になる。建築やインテリアはもっと実用性を伴うが、大きく言うならばそれも芸術かもしれない。

でも、目に見えるのは事実だ。

視覚というのは五感の中で人の感覚に大部分の影響を与えるものらしい。食も味覚の発達している人ならば、味だけで本当に美味しいかがわかる。しかし、見た目、で「美味しい」「美味しそう」と感じる部分が70%だと言う。

音楽も勿論、ルックスやジェスチャーなどもパフォーマンスとしては関係するだろう。
しかし、音楽そのものは目に見えない。それだけは他の芸術と違う点だ。

それだけに私は音楽を奏でる「空間」をとても大事にしている。そこに充分な響きがあれば、建築物として美しいもの、面白いもの、歴史あるもの・・・遺跡や森の中もあこがれる。。。

ただ、無味乾燥なコンサートホールで演奏するのは実力だけにかかっている、という私の本望であり、また夢ではない。

コンサートホールの良さももちろんあるし、これからも引き続き続けていたいと思っている。しかし、これからは演奏する空間を大切にして出来る場所でも活動していけたらいいな。。。
 

2011年6月28日火曜日

現代ギターリサイタルのお知らせ。

現代ギター社主催のGGサロンコンサートシリーズに3年半ぶりに出演します。

詳細はホームページの活動情報に記載しています。皆様のご来場をお待ちしております。

ただいま故郷の鹿児島で練習に励んでいます。何か大切なコンサートがある時は実家がいわば合宿場所になります。集中出来るんですよね。

鹿児島の明るい南国の日差しと、さわやかな風をいっぱい吸収しながら演奏しています。
東京の皆様にもギターを通して心地よいひとときをお届けできたらと思っています。

GGサロンにマイナスイオンがいっぱい発生したりして・・・!?

どうぞ宜しくお願いいたします。

2011年4月26日火曜日

非常時にわかる人の想い。

3.11以来、海外のギター制作家や西日本の友人や音楽仲間から、出来ることを協力したい、ヨーロッパの我が家にホームスティしたら?疲れたら名古屋へ遊びにおいで、などなどあらゆる優しい気持ちをあちらこちらからもらっている。

鹿児島では同級生達が数人集まって、余り地震や原発のことには触れず、わざと冗談ばかり飛ばして私を笑わせてくれた。本当によく笑ったなぁ・・・。今のうちに食べておきなさいと言わんばかりに、同級生なのに、まるでお母さんが子供に言うように、あれ食べなさい、はい、次はこれ、これも美味しいよ、と鹿児島の郷土料理を次から次へとごちそうしてくれた。

鹿児島ではとにかく、被災地に送る物資や関東に送る水の手配などしていたから、毎日皆のことが気がかりでゆっくりしたという感触は余りなかった。

笑い飛ばして気丈に振舞っていたせいだろうか。

先日、名古屋の音楽仲間からの「お互い明るく前向きに、用心することはして、心をしっかり持って生きていこうね。疲れたら名古屋へ遊びにおいで。」

というメールに今まで張りつめていた心の糸がほどけていくように、涙がポロポロと流れた。

仕事柄、疲れてなんかいられないし、笑顔でどんな時も他人を励ましたり癒したりしなければいけない、という気持ちが身についているせいか、余り甘えることがなかった。

その歌い手の女友達が手を広げて、休んでいいんだよ、と優しく包み込んでくれたことで、今まで気を張ってやってきたんだな、と気付かさたのでした。。。助けることばかり考えていたからね。

2011年4月4日月曜日

東京の人々。

東京を中心に神奈川、埼玉、千葉の関東の人達だって充分被災者だ。

もちろん東北の被災地が一番悲惨なのはわかっている。でもメディアは被災地の情報しか流さない。でも、もう東京の人達は皆疲れきっている。地震に原発の恐怖と戦いながら毎日仕事をしているのだ。身の危険はそれだけではない。水道水や野菜の放射能汚染にまで神経をすり減らし、自分のことは息を殺して耐え忍び、子供の安全を考え、そして会社へ行く。

家も洋服もあるから物資をもらえるわけでもないし義援金もない。だから疲れ切った心も体も奮い立たせて会社へ行く。

被災地の人達に何も出来ない自分が悔しい、と言った人がいた。そんなことは思わなくていいと思う。こんな状況の中で毎日仕事をしているだけで、もうそれだけで充分過ぎるくらい日本の為に尽くしていると思う。しいてはその先に被災地の人達に想いが届いていることと同じことだと思う。

私も3・11から何もせずにはいられなくなって、私自身の置かれている実情を忘れてしまって実家の親と協力し合って、布団や毛布、防寒着とセーター、少しの義援金を個人的に信用している所を通して被災地に届けた。確実に届く方法で。米とミネラルウォーターは茨城の友人の家族へ。ミネラルウォーターは東京の生徒たちへ。

大した事は出来なかったかもしれないが、無理して許容量を超えるような事をして共倒れになったりなんかしたら、本末転倒だ。

海外の友人から空いている部屋があるから我が家へおいでと言われているが、そこまではちょっと出来ないな。そんなことをしても、本当に幸せだとは思えないから。

私は東京の人々を本当に癒してあげたい。安全で温かい温泉でも入ってもらって、思いっきり何の疑いも持たずに美味しいものを食べてもらって、地震のことなど心配せずに安眠し、朝起きたら新鮮な空気で思い切り深呼吸してもらえたら、どんなに幸せだろうか。。。


私の知っている人達だけでも一生懸命働いて、そうしてあげたい。そのために働いても惜しくない。

2011年3月7日月曜日

早朝窓から眺める雪。

今年は関東方面は雪がよく降りますね。雨の日に雨音を聴きながら編曲するのが好きだけど、雪の日の白銀の景色を眺めながら窓からぼんやりと思いをはせるのも好きだ。

今年の冬から乾燥しょうがの粉末をお湯に溶かして飲んだり、料理に使ったりして体を温めている。毎日体温を計っているが、確かに体温は少し上がっているし、手先もぽかぽかだし以前より冷えを感じなくなった。全てはギターの為だ。基本は体調管理と練習。体調管理をするのも仕事のうち、能率よく練習して、能率よく仕事をするためには何と言っても体が資本だものね。。。

今朝は旧友のメールで目が覚め、早朝6時半に起床。最近生活のリズムが崩れていて、夜遅く朝もダラダラしていて何とかならないものか、とちょっとした悩みだったので、彼女が偶然にもメールで起こしてくれて本当に良かった。目覚ましだと起きるのがとても辛いのに、不思議と苦にならなかった。彼女は楽天的でほんわかしているのだけど、一方で昔から勘の鋭い人で私のことを見透かしているような人。今は3人の子供達のお母さんだけど、ピアノにフルート、お琴何でも出来る女性としてたくましく、素敵なお母さんだ。

近々彼女の家で3人の息子たちにギターの演奏を披露することになっている。仕事とは関係なく、ピュアに音楽が出来るのは、何か言葉に言い表せないふんわりとした何気ない幸せを、窓の外の雪を眺めながら感じてみたりしたのでした。。。

2011年2月11日金曜日

ジョビンの音楽をあらためて考える。

今から8年ほど前のことだっただろうか、まだ私が鹿児島にいる頃に東京から来鹿した、あるジャズミュージシャン達のライヴに飛び入りで演奏したことがあった。

その時は真夏の奄美大島ということもあって、なんとなくイパネマの娘をサンバという解釈で熱く演奏し(笑)、ブラジル音楽の人前での演奏は初めてだったので、私としては、ただただ夢中で弾き終えただけでも満足だったのだが、どうしてしまったのか・・・???というほどお客様の反響が熱狂的だった。満月の夜だったからだろうか!?

そこまでは良かったのだが、その後メインのあるジャズミュージシャンに「ボサノヴァはさ~、あんなに激しく弾くものではなくて、もっとまったりしたタイム感覚で弾くものだよ!」と激しく指摘された。

一般的にはそうだよね。そんなことは百も承知だった。私は初めてボサノヴァを聴いて好きになったのはランドセルを背負ってした頃・・・小学生の頃からジャズもボサノヴァも聴いてきたし、それに関してのあらゆる書籍も読みあさったので彼の言うことはよくわかっていた。

しかし、そのジャズミュージシャンの初の奄美公演を楽しいままで過ごしてほしい、またはジャンルは違えど、先輩ミュージシャンをたてて言い返すことはしなかった。

10年程前からだろうか、東京へ出向いてブラジル人のミュージシャンのワークショップを何度か受けると彼らが必ず言うのが、イパネマに限らずボサノヴァと一般的に言われている曲を「それはボサノヴァではない、サンバなんだ。ジャズと融合していると言うけどそれは違う、僕らの音楽なんだ。サンバなんだよ。」とどんな人も強調することに気がついた。

ジャズのハーモニーやフランス近代音楽のボキャブラリーの影響は確かに見受けられるのだが、彼らが何故そこまでしてそのように言い張るのかということをあらためて考えてみたかった。何かそこには理屈ではない、日本人には、または外国人には解らない胸の内があるのではないか、と思った。

それが何かなのか知りたかったが、取りあえずサンバで(もちろんサンバ自体も本当にわかって弾いていたとは思わないが。)私なりに、彼らの気持ちに敬意を表して自分なりに挑戦してみたわけだった。

昨夜、やはり10年程前に買ったジョビンの伝記をまた読み返してみた。それはジャズに影響を受けているかどうかが疑問で読もうとしたわけではなかった。ただ以前読んだ際に一か所だけ飛ばして読んでない個所があるから漠然と手にとってみただけだった。

その項目はジャズピアニストの山下洋輔氏がジョビンに出会ったときの事が書かれているものだった。それはこういうものだった。

「記者会見が始まり、ジョビンに対して当然開口一番に、ジョビンの音楽とジャズの関係について質問があり、発せられたジョビンの言葉に非常に驚いた。ージャズはよく知らない。私は私の、ブラジルの音楽をやってきただけですー僕には彼がジャズから全然影響を受けなかったはずはないという感触がある、なのに何故彼はそんなに強い確信を持ってそう言い張るのか、解き明かしたいという気持ちになった。」

というものだった。ジョビンはその記者会見の時にイパネマを演奏し、なんのてらいも特別な工夫もない、ただその人がそこにいてその人の音楽をやっている。何物にも代えられない自分の世界だった。異様な感動をおぼえた。と山下氏は語っていた。

全く同じ事を思っていた山下洋輔さんの箇所だけ読んでいなかった事に10年間一人で考えさせられていた事に何か必然的なものを感じたりもした。新たなスタートとして今読むべき内容だったのだね。

続きはまた次回。。。明日は寒くなりそうですね。おやすみなさい。