2015年8月25日火曜日

全部終了してスッキリ!




昨日気がかりだったサマータイムのアレンジ・・・心配することもなくサラサラッと書けてしまった!

私のアレンジは半分ジャズ的なノリで書いていく。

あの時は良かったと思うけど、1週間後にはまた気持ちが変わったり感受するニュアンスが違ってきたりする。

でも全体の構成や和声、リズム、曲想・・・等々は左脳で計算しつくしているので、さほど自由に書いているわけでもないのだよ。

その辺が純粋なジャズプレイヤーとちょっと違うところかもしれません。あーきっとジャズの方も計算していると思いますけど、その計算の種類が違うのです、きっと。

でもアドリヴはもちろんズージャのプロには敵いません(^.^)/~~~


2015年8月23日日曜日

書き直し。




アレンジって、その時に良いと思っていても、少し時間が経って改めて弾いてみると印象が違うと感じる時がありますね~。

サマータイム・・・ブルージーな感じを出そうとして、自分でもなかなかいい感じに仕上がったと思っていたのだけど、これが今日弾いてみたら、何だかとてもえんかちっくになってしまって、赤面してしまった。(あいや別にえんかが悪いっていうわけではないですよ。それを求めていたわけではないので。)

いや~日本人を痛感してしまいました。ブルーノート・スケールってまかり間違うと演歌や民謡みたいになっちゃうね。慣れない事やるもんじゃないね。新しい挑戦ていっても限度があるな~。

またやり直し!あ~あーやっと練習に集中出来ると思っていたのに。でも直しの作業が練習することにもなる、と考えたらしょんぼりすることもないかな。

よし!明日もまたがんばるぞ!!


2015年8月22日土曜日

最後の1曲無事終了。



今夜、やっと最後の編曲が終わった。終わらないかと思ったくらい大変だったけど、終わったのだ。

今日編曲したものは、ちょっとした息抜きの曲。しかしそれでも声とギター1本で聴かせるわけだから、工夫は必要です。

バロックから現代、ポップスに映画音楽、オペラや日本の曲、スコットランド民謡・・・プログラムも変化に富んでいるけど、ギター伴奏も様式に沿って更に工夫も凝らしている。

これでもう明日からは練習することだけに集中出来ます。

なんと嬉しいことでしょう!!

2015年8月18日火曜日

霧島ロビーコンサート無事終了しました。




霧島での清流荘ロビーコンサートは無事終了しました。

ギターソロ、フルート&ギター、フルート&ギター&ピアノと様々な編成で演奏させて頂き、お客様には旅情をそそる選曲でとても良かったと喜んで頂きました。

曲が決まって5日後にコンサート、私自身は8曲演奏しましたので、なかなかスリリングでしたけど上手く行ってホッとしています。

2015年8月14日金曜日

ふと思ったのですけど。




そう言えば、よくよく考えてみると、ブラジル人のギタリスト及び作曲家のマスタークラスやワークショップなど沢山受講している事に気がつきました。

ジスモンチ、ヤマドゥ・コスタ、クアトロ・マホガニー、ジョアン・リラ・・・などなど。

クァトロ・マホガニーのリーダーで8弦ギターのギタリストにヴィラ=ロボスのショーロス第1番のレッスンを受けた時に、「この曲はマシーシというリズムで成り立っているけれど、でもあくまでもクラシックなのだから、エレガントで洗練されていなければいけない。マシーシだって2種類あるんだよ。」

そして、あのラグ・タイムを模倣したホ長調の部分もいつしか皆が遅いテンポで弾くようになり(ラグの引きずるようなタイム感覚を単純に遅く弾くと勘違いしたのかもしれません。)、私も当時同じように弾いてみると、「そこの部分を皆遅く弾くけど、僕は嫌だね!テンポで弾いたほうが良い。」と即答。

そう。この「嫌だ!」と随分強調して言ったこの言葉が重要なんだと思います。ラグもヴィラ=ロボスも研究した上でそうおっしゃったのだと思います。

例えば、誰もがボサノヴァをブラジルのショーロにジャズのハーモニーが融合したものだと疑わない中、A.C.ジョビンを筆頭に、私がレッスンを受講したブラジル人音楽家達も含め「違う。ボサノヴァはジャズとは関係ない。サンバなんだ。僕たちの音楽なんだ。」と皆が強調する。

私達にしてみると、どう考えてもジャズに影響されているとしか思えないのに、何故?と素朴な疑問が湧くのですが、何か彼らにしか解らない「誇り」のようなものが隠されているのかもしれないと思いました。

やはり、ここでもこの「違う。」という言葉が重要なのだと思います。

よそ様の国の音楽を演奏させてもらうのですから、この「嫌だ。」「違う。」という言葉のニュアンスを大事にしたいと思うのですよね。

様々な国の音楽家達から学びとろうとしたその貪欲さは、きっと中学生の頃から民俗音楽に興味を持ち始め、私達日本人の音楽って果たして何なのだろうとルーツを探し求めた反動なのではと思うこの頃です。

2015年8月9日日曜日

ヤッホー!やっと出来ました~♪




今夜中の3時半。こんなに遅くまで起きていることはないのだけど、今日までに終える!という自分に課していた編曲がやっと出来ました!!

先日まで体調が思わしくなく、なかなかはかどらない事に焦燥感がありましたけど、良かった!間に合って。新しい事にも挑戦したので、不安で仕方なかったけど、想像したよりも上手くいき、恍惚感に浸っています。

これに歌い手が加わったときの事を思うと、もう今からワクワクです♪

2015年8月3日月曜日

レパートリー講座 Vol.3




今回はヴィラ=ロボスの名作プレリュード第1番。
曲全体を印象付ける抒情的なメロディー部分だけ取り出して書いてみようと思います。

言わばブラジル人が根っこに持っている「歌」についてです。

まずヴィラ=ロボスはオペラ作曲家のプッチーニに影響を受けたと言っている。そして19世紀頃にブラジルのサロンやポルトガル王室で流行した「モジーニャ」の心が彼の作品の中に息づいている。

モジーニャはブラジルの最初のポピュラーミュージックと言われているけれど、同時にポルトガルのファドの原型にもなったとも伝えられているようです。

この独特の抒情的で感傷的な漂いは、十代の頃からブラジル音楽を長年聴いている私には机上の空論ではなく、感覚として少なからずわかります。*ここで言うブラジル音楽はポピュラーの事を指しています。(ヴィラ=ロボスを弾き始めたのは9才からです。)

そして更に私はポルトガルに1か月滞在した事があり、その間ファドハウスでファドのライヴを何度も聴いているし、又実際にファドのミュージシャン達ともセッションをしたり、素晴らしく天才的なポルトガル在住のブラジル人の女性歌手とも共演した事があるので、どちらの感性も肌で感じることが出来ます。共演したブラジル人の女性歌手は私が帰国する直前にもホームパーティーを開いて下さり、何曲も私の為にブラジルの歌をうたって下さいました。

このような経験を得て、必然的に「ブラジル風バッハ」にその影響を見出す事が出来るし、また「練習曲第11番のLentoの部分にも「モジーニャ」を感じます。

前奏曲第1番も例外ではありませんよね。動画は雰囲気だけでもと思い、参考までにヴィラ=ロボス作のモジーニャをアップしておきます。

それにしても、ポルトガルでは貴族のお茶会でサロン・コンサートをさせて頂き、お姫様のようにメイド様手作りの世界中のお菓子を頂き、王族の方がお屋敷敷地内の教会で私のリサイタルを主催して下さったことが、今では夢物語のようです。