2014年8月20日水曜日

夏の終わり。




やっと長い長いお盆が終わりました。

田舎のお盆は同窓会にお墓参りに親戚の集まりに・・・とてんこ盛りです。

音楽をやっていて良かったなと思うのは、こういった人が集まる場所にギターを持って行くと、それを通じてコミュニケーションが一気に深まります。

親戚も色んな人達がいて、いつも上手くいくとは限りません。

ギクシャクした人間関係も、音楽一つで心のわだかまりが一気にほどけていくものですね。

人と人を繋げる言葉の要らない豊かなもの、音楽をやっていて良かったとつくづく思います。

2014年8月3日日曜日

左手で創っていく。




よく昔からギターは左手で弾くと言われる。弾くと良い、と言ったほうがいいかな。

もちろん、意外とテクニックの向上やミスを防ぐことに、右手に原因があるということはたまに見落としがちな事ではあるけれど。

その事は置いといて、左で弾く、という意味はまずは左で押弦しなければ右手で音を出そうと思っても出ない、ことは当たり前なのだけど、このタイミングが合わない人は多く、その事に気付かずやみくもに練習してしまうケースは多い。

そしてギターソロは暗譜なので、左に神経を集中させていないと思わぬ「ど忘れ」に出遭ってしまうことがある。

この上記のことは分った上で話すことにします。

指は脳でコントロールしているのは周知のとおり。

今日閃いたことなのだけど、左は、右脳がコントロールしている。右脳は何かを創造する場所。

ということは左手で音楽を創造、想像することは出来ないだろうか。

一般的には、右手で、ダイナミクス、音色、アーティキュレーションなどなど音楽的なことは創造するものだと思われている。当たり前だけど。

しかし、左手で何か音楽的なことを感じることは出来ないだろうか。せっかく右脳がコントロールしているのだから。

脱力や指の運び等のテクニック的なこと、ヴィブラート、特殊奏法の事を言っているわけでもないのですね。これはもう既にわかっていることだから。鼻につく言い方かもしれませんが、一般の人が考えつくような事というのは、もう大分昔に勉強済みなので、これらのことを越えたことを考えているのだけど、今この場で、言葉で表現するのは難しいですね。

左手に感受性を働かせることで、何かまた一つ上の次元の音楽を創れるような気がしてきました。


最近気付いたこと。




ここのところ、トレモロの曲を弾く機会が増えてきた。

アルハンブラの想い出、森に夢見る、海のセレナーデ・・・。

私は勘違いしていた。古いものから順番に、アルハンブラを長年弾いてきたから、森に夢見るが弾けるんだと思っていた。もちろん、それも間違ってはいないと思う。

テクニック的にはアルハンブラを小さい時から弾いてきたことが活かされていると思う。

ただ、面白いことに音楽的な部分では「森に夢見る」を弾いたから、アルハンブラが変わり、「海のセレナーデ」を弾いたから、森に夢見るの音楽的なニュアンスが変わったのだ。

新しい音楽を演奏することで、古い時代の音楽のアプローチや音楽的なアングルが変わる、このようなことって、安易に気付きそうで以外と気付かないのではないだろうか・・・。

考えてみると芸術は常に進化しているのだから、新しいものから古いものが見えてくるというのはあって当たり前のことかもしれませんね。。。