2013年12月30日月曜日

こんなところでもアナログ。。。


 
 
毎年イギリスから必ず二人の友からクリスマスカードが届く。最近ではメールなどで新年のご挨拶をするパターンがあるけど、こうやってお店に行ってちゃんとカードを選び手書きでもらうと嬉しいものです♪
 
私ももちろん街へ出掛けカードを吟味して、家に帰って手書きで書いているとなんだかワクワクした気持ちになる。こういう感覚ってメールなどでは味わえないものですね。
 
編曲する時の楽譜だってそう。コンピューターでのやり方がわからないというのもあるけど、手書きのほうが手っ取り早いし、そしてまたワクワク感があります。
 
日本の別の友人たちも手書き派の人達がいて、ひょんなときにハガキが届いたり、暑中見舞いなんかが届いたりすると、スーッと目の前を心地よい風が通り過ぎたような気持ちになったりします。
 
デジタルはデジタルの良さがあって、それぞれ使い分けたら良いのですけど、
 
わたしはやっぱり、アナログが好き。
 
 


2013年12月27日金曜日

今年もお世話になりました。


 
 
今年も残り少なくなってきました。
 
 
沢山の方々にお世話になり、刺激的な日々を送らせていただきました。
 
ありがとうございました。来年はさらに良くなるように努力して参りたいと思っております。
 
 
みなさまも寒い季節、ご自愛くださいませ。
 
 

2013年12月23日月曜日

見えてきた。


ここのところ、段々とこれから何をやっていけば良いのかわかってきた。

既存の曲を演奏するということは、他人の歌を借りて作曲家の気持ちになって、あるいは解析したものを自分なりに消化させて、あるいはそれ以上の表現力を持って奏でることになるのですけど、生きていく為に好きな曲ばかりやっているわけにもいかず、他人の作った曲を演じることに空々しい気持ちになることがある。

でも、ギターを通して「曲との出遭い」という風に考えればそんな悶々とした気持ちも晴れるような気がする。曲があるからもちろん演奏が出来るのですけど、生きていく為に余り共感できない曲も弾かなければいけない、ことのほうが多い。

それを人との出遭いに当てはめてみたらどうだろうか。

好きな人物とだけ付き合っているわけにはいかなく、色んな人達との出遭いや繋がりがあって自分が成り立っていると思えば、それぞれに感謝する気持ちも湧いてくる。

話しは変わるけど、バッハさんだけは歌に違和感がないのですよね。全部しっくりきて、心の深い部分まで浸透していきます。

私は曲を中途半端な状態であれもこれもやるのは本当は好きじゃない。今まで周りの意見に左右され過ぎて素直に聴き過ぎてしまったかもしれない。

もちろん、ギターを勉強中の若者は一通り勉強すべきだし、全てを勉強することで、一つのことが見えてくるという事があるので。

上を見ればキリが無いけど、もうそろそろ決めよう。あと何年演奏家として活動出来るかということを考えると、そんな事を思うのです。

2013年12月2日月曜日

今日は良い日でした。




今日は今年旅立たれた日本を代表する稲垣稔さんの門下生から、驚きましたけど嬉しいお話しを伺いました。それは自慢話のようになるのでこの場では書きませんけれど。

稲垣さんが、生前なぜ私の話しを全国各地でしていらっしゃったのか私にはわからない。

「稲垣さんが凄いギタリストなんだ。」と褒めてましたよ、と行くとこ行くとこで皆さんが教えてくださるのです。

凄いかどうかはわからないけれども、きっと想像するに稲垣さんはカッチリとした正統派のギタリストだったから、その正反対のアウトサイダー的なギタリストを過大評価してしまっただけじゃないのだろうか。。。

15年もの間、ついこないだまで言い続けてきた理由は何だったのだろうか。

ご本人に聞いてみたいと思ったときには、もういつの間にか星になってしまっていました。。。

2013年10月27日日曜日

月光。




今夜はなかなか寝付けず、おととい不思議なご縁でやってきた19世紀ギターを夜中にポロポロとつま弾いてみた。理由があり10日間も練習していなかったことが気がかりだったから。

でもこれならボディも小さく、テンションも低いので気軽に弾ける上に、19世紀ギター特有の優しく奥行きのある音がなんとも心地よい。

このギターの持ち主が最後に弾いた曲は、F.ソルの「月光」だった。

私は7才の時に初めて弾いたソルの曲はまさしく「月光」。

この同じ曲を今宵はしみじみと弾いて、「バトンタッチ」の儀式を終えたのでした。

おやすみなさい。いい夢を。




2013年10月23日水曜日

鹿児島国際大学リコーダー連続演奏会 vol.17。

11月23日(土) 19時開演  入場無料  
 
 
鹿児島国際大学8号館ミニコンサートホールにて鹿児島国際大学リコーダー連続演奏会に出演致します。

リコーダー
柴立美佐子(鹿児島国際大学国際文化学部音楽学科リコーダー専攻3年)
リコーダー・チェンバロ
吉嶺史晴(鹿児島国際大学国際文化学部音楽学科講師)

ギター
竹之内美穂(鹿児島国際大学国際文化学部音楽学科講師)  


(プログラム)

J.S.バッハ リコーダーと通奏低音のためのソナタ ヘ長調(リコーダー&チェンバロ)
吉嶺史晴 リコーダーとチェンバロのための「三日月の夜」(2013)
G.F.ヘンデル リコーダーと通奏低音のためのソナタ(リコーダー&19世紀ギター)  他

(ギターソロ)

A.バリオス  ~ 森に夢見る
S.マイヤーズ ~ カヴァティーナ
I.アルベニス ~ アストゥリアス   

*プログラムは変更がある場合がございます。あらかじめご了承ください。

*問い合わせ 099-263-0773

2013年10月17日木曜日

2年ぶりの復帰。




先日の復帰コンサートは、沢山のハプニングが発生しましたけど、結果的には大盛況で喜んで頂きました。ありがとうございました。60名のキャパでしたが、お陰さまで満席、椅子が足りなくなり補充するほど沢山お越しくださいました。ありがとうございます。

それにしても、本当のところ当日は演奏者にとっては悪条件てんこ盛りの状態で挑みました。

先日ブログに書いた首の痛みとそれから来る指の動きの違和感、2年ぶりの復帰と言う事で、ただでさえいつもとは違うプレッシャーが重くのしかかっているのに、それをどうクリアしようかと本音を言えば泣きたいような気持ちでした。

それに付け加え、当日個室が用意されていると聞いていたのですが、行ってみたらホールの手違いで控室が用意されておらず、小さな部屋にシャンソンのおばさま方とご一緒に。それは構わないのですが、やはり、本番前は心静かに精神統一したいという意識は、その方々には全くわからず・・・静かにして頂きたいとお伝えしても、女子高生のようにわーわーとおしゃべりが留まることがありませんでした。

うるさくて指慣らしどころか、調弦をすることもろくに出来ず・・・。クラシックの演奏会の控室としては考えられない状況でした。

絶対に失敗出来ないというプレッシャーと体調をどうクリアしようかということで頭がいっぱいでしたから、もう私の胸は悲鳴を上げていました。。。

その上、バランスを統一する為にマイク使用の予定だったですが、演奏中にスィッチが入っていない事を耳で発見。曲間で自分でスィッチを入れて、忙しない事といったら!そして、今度は一番前のお客様が2、3人、演奏中のちょうど左を向いているフォーカスの中で、携帯で撮影、そしてなんと録音している人も!!後ろからザーッと小走りに演奏者目の前まできて写メを撮るなんて目を疑いました。

何故このホールでこのような事が起きたのか私には解りませんが、全て集中に揺るぎなく、自分でほど良い緊張感を作り出して演奏しました。もう、腹が据わってたんですね!!!やっと本来の自分を取り戻せた感じです。

今後このようなハプニングが起きない事を祈るばかりです。

2013年10月10日木曜日

秋、シャンソン、夢見るギター。

10月13日(日)14時開演 Sitiera ホールにてシャンソン教室発表会にゲスト出演いたします。 
 
 

枯葉はまだ早いですけど、さわやかな秋風が吹くウォーターフロント近くの響きの良いホールでシャンソンと温かく澄んだギターの音をご一緒に楽しみませんか。

皆さまのお越しをお待ちしております。

詳細はホームページ活動情報をご覧くださいね♪
                                     

   
                                    
                                                                       
     

 
 
*クラシックギターソロ*


 * 森に夢見る (バリオス)

 *カヴァティーナ(マイヤーズ)
  
 *アストゥリアス(アルベニス)
  
 
                         
 

2013年10月2日水曜日

ライブ情報更新しました。


先日、ブログを中止する旨をお知らせしたのですが、知人より「楽しみにしていたのに残念至極」というメールを頂き、再開することに致しました。

言葉の使い方次第で人の心は変わるものですね。その方がただ「残念」と書いていたら、おそらく再開しなかったかもしれません。。。「残念至極」と書いていたのでそこまでおっしゃって下さるのなら、とまた気を取り直しました。(笑)

ところで、とうとう2年ぶりに演奏復帰です。まだ体を立て直しながらの出演ですが、リサイタルではなくゲストということですので、少し気持ちが楽です。

2年ぶりの演奏ですのでステージに立つ緊張感とはまた一味違う、一抹の不安感は正直ありますが、それを払拭するかのように練習に励んでおります。

会場はウォータフロント近く、スタイリッシュで響きのよいシティエラ・ホール。
詳細はホームページのライブ情報に記載されています。

皆さまの温かい応援をどうぞ宜しくお願いいたします。
いい演奏会になりますように。。。


2013年9月7日土曜日

古楽器演奏会。

昨夜はフランス・ブリュッヘンの次世代を代表するエヴァ・レジェーヌさんのコンサートに知人のリコーダー奏者もジョイントするということもあり、足を運びました。
 
左の写真は私が小学生の頃、父がよくかけていたブリュッヘンのレコード、ヘンデルの木管のためのソナタ全集。
 
そのブリュッヘンのお弟子さんの演奏を間近で聴くことになるとは、何だか不思議な感じがして、感激してしまいました。
 
体の中を空洞にして余計な力が抜けている様子は、自由自在に音楽を楽しんで吹いているようで、とても軽やか。
 
1700年代のガンバは300年弾きこんだ歴史を感じさせる重厚で気品溢れる音で、ヴァイオリン属ではなく、6本ある弦に、4度と3度の楽器というだけあって、ギターの仲間だということがわかるような気がする。

重音やアルペジオが多く、ギタリストにしてみればちょっと演奏意欲をそそられる感じですね。
 
チェンバロはイタリアのもので音域が狭い可愛らしいものでした。
 
子供の頃にレジェーヌさんの録音を真似て夢中になって吹いていたというリコーダー奏者の吉嶺氏は、レジェーヌさんの隣でまるで童心に返ったかのように無邪気に演奏していたのでした。
 
時を経て、このような音楽の出遭いがあるのは、なんとも人生とは素敵なもの。
 
"C'est La Vie." なのでした。
 
  

2013年9月4日水曜日

フランス語と音色の関係について。

最近まだ始めたばかりだけど、フランス語を教え始めてハッと気付かされたことがある。

それはフランス語の母音の多様さをあらためて考えた時に、これはもしかしたら私がギターを弾く時、音色の変化にこだわっている事と何か関係しているのかもしれないと思った。

母音が鼻母音も含めて16種類もあると言う事は、それだけ発音が微妙で変化に飛んでいるということ。それをフランス留学中に浴びるように聴いて話したことで、体の中に沁みわたりギターの音で無意識に再現しようとしていたのではないかと。。。

タッチやアタックの角度を微妙に変えることに没頭するのは、きっとその16種類の母音が影響しているのかもしれない。それを声だけでなくギターでも発音、表現しようとしていることに今になってやっと気づきました。

時に耽美的だったり、ふくよかだったり、奥行きがあるけど曖昧な音色だったり、またRのようなノイジーな音だったりするのは、「そこで必要」だと思っているからやっているわけで。それはもちろん様式や曲想によって、こだわり方が変化してくる。

そんなことに気付くと、音楽もフランス語もまた一層、楽しさが増してくるのですね。。。

2013年8月29日木曜日

夏の終わりに。


先日はマリオネットさんのプライベートコンサートのお誘いが当日急にあり、どうしようかと一瞬迷いましたが、いつまた拝聴出来るかもわからないと思い飛んでかけつけました。

パートナーの吉田さんはマンドリュート、ギター、マンドリンと演奏なさいますが、今回はマンドリンを沢山演奏してくださいました。ドイツのケルン音大で学んでらっしゃいます。

ファドの合間に蘇州夜曲を弾いて下さった時のマンドリンの音色が未だかつて聴いたことがないような、なんとも柔らかく優しいトレモロで、一瞬涙が出そうになりました。

もちろん曲想によって弾き分けているのでしょうけど、それは単にトレモロの音が良かったというだけでは感動しなかっただろうと思います。音楽性も含めて良かったと思えたのですね。

このような抒情的でシンプルな曲は余りにも情感を込め過ぎてもうっとうしくなってしまいますし、かと言って淡々と弾くのもその人の歌心の無さを疑われてしまいます。

しかし吉田さんの演奏は情感や歌心のバランスがとても良く、これが「センス」というものではないだろうか、と思いました。

また、その感動を味わうことが出来たのも湯浅さんの楽器編成などのお心遣いがあってこそだったのかもしれませんね。ライブの間は本当に優しい時間が流れていました。

前日には「近くまできている。」と連絡をくださり急にお会いすることに。音楽の話し、それにまつわる興味深いお話し、今後のアドヴァイスをして下さったりと有難い時間を過ごしたのでした。

夏の間は最近始めたフランス語講師として在籍している語学スクールの子供たち30人と先生方7、8人で1泊2日のキャンプ、ナント美術館の学芸講座、リコーダーとのアンサンブル、親戚の別荘で過ごしたお盆休み、花火大会、夏祭り・・・と決して華やかではないけど、しばらく忘れていた何気ない日常が私にとっては、とても新鮮で全て楽しく過ごしました。

夏のしめくくりは、心を洗い流しにお気に入りの海を見に行こう。

そこはひっそりとした場所で、誰も知らない美しすぎる透明感と寂しさを感じさせるところ。

その寂しさを感じながら、一人静かに眺めるのが好きなのです。

☆マリオネット http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=s4BHEy_-xlc

2013年5月16日木曜日

体力づくりに励んでます。


ここ最近は朝7時に起床し、ウォーキング、筋トレを頑張っています。あ、でも私の場合は元々あった体力を更に強化するのではなく、元の体力や筋力に戻す作業をしているのですね。しばらく活動休止していましたので。

ギターの練習もやり出すと夢中になって何時間でもやってしまい、そのあとの体の痛みが最近ひどかったもので、ほどほどに焦らないで少しずつを心がけています。練習前後のストレッチ、呼吸法、脱力に気を遣っても間に合わない場合もあります。

そこで工夫して実際にギターを持たなくても練習出来るように、今日から譜面だけでイメージトレーニングし、最終的には譜面もギターも持たずに練習しようと思っています。

かと言ってやはり当たり前ですけど、最終的には楽器を弾かなければ本当の意味での練習にはならないのは言うまでもないですが。。。工夫しながらまた以前の生活に戻していけるように努めていこうということですね。

体が痛い時には、語学の勉強、編曲をこころがけたり、時間に無駄がないようにしたりと、今まで休んだことへの焦りを少しでも解消出来るように努力しています。

2013年4月4日木曜日

久々にイギリス時代の女友達と。


先日は、イギリスから帰省した女友達と(関東にいるので)電話で長い間積もる話しをした。

開口一番に「もうミホにさ~会いたくて会いたくてしょーがなかったよ~!!」というフレーズで始まった。同性の友人からこんなにラヴコールがあるのは嬉しい。電話だけでも、コンタクト取れて良かったとお互いの胸の高鳴りを静めたりなんかして。。。

これからは(イギリスに帰ってからは)スカイプで話そうよ、ということになった。彼女も男の子2人のお母さんになって更にたくましく、そして温かな女性になっていた。

独身の時には彼女のお父さんは映画の配給会社の社長だったこともあり、映画の買い付けにカンヌ映画祭に毎年来ていた。一度フランス留学中にカンヌで合流したことがあったけど、近くでいい所があるんだよ、とアンティーヴに連れていった。

アティーヴは南仏の小さな街で、ピカソが晩年すごしたお城を改装したアトリエがある、いわゆるピカソ美術館があるので有名だ。

晩年の作品を見るのも良かっただろうが、そのお城から見渡すオレンジ色の南仏の家々の屋根と白い壁、そして地中海のどこまでも広がる青い海とのコントラストに、彼女は感激したようだった。

今は家事と子育て、普段の休日にはご主人のヨットで、夏のヴァカンスにはフランスの別荘で過ごしているそう。いいねいいねぇ~。


お互い離れているけど、これからもお互いがんばろうね。彼女も私も、それぞれ、それなりに苦労してきたことが今回わかったからなぁ・・・。ここでは苦労話なんて書けないから。




2013年3月23日土曜日

これからの音楽。

2011年、3.11の東日本大震災のときに、とっさに思ったこと。

それは、私達音楽家に何が出来るのか。あの時には、ただただ自分に出来る許容範囲内で、本当にわずかなことだったかもしれないが、考え、走り回った。

そして次に思ったことは、これからの音楽の方向性だった。


自分自身への問いも含め、今までの音楽の在り方は何かとても違和感を感じるようになった。いや、私は最初から違和感があったが、生きていく為に妥協してきたのかもしれないと思う。

やはり、芸術は人の為にあるものだ。だからと言ってただわかり易い安易な曲をやればいいというわけではなく、新しいものを生み出しつつも、クラシックを知らない人も、ギター音楽って何?という人にも、心の中へスーッと温かく入り込んでいく音楽をやりたいな、と震災以降思うようになったのだ。

もちろん、音楽学生やマニアのことも考えている。すごく考えている。真剣に考えている。

だけど商業主義の上辺だけの音楽はもう終わりにしたい。


震災後、誰もが何もかもが行き過ぎた、と感じたと思う。自然破壊や社会の在り方、家族の大切さなどあらためて考えたのではないか。しかし皆忘れている。音楽も行き過ぎていたと思わなかったのだろうか。。。


これからは、どのように音楽を通して人とコミュニケーションしていくか、模索中だ。


2013年3月6日水曜日

パリの屋根の下のフーガ。

先日、ブログで「パリに居る頃の私は覚醒していた。」という話しの続きです。。。


パリでエコール・ノルマル音楽院のギター科に留学していた頃、ギターを強要されないで、自分自身の意志で学ぶことがこんなにも楽しいものかと、取り憑かれたように寝ても覚めても練習、練習で一滴の学びも逃したくないと思っていた。

それは通りを歩いていも音楽のことばかり考えて、道行く人にぶつかってしまうほど、友人とレストランで食事をしていも「早く帰って練習したいなぁ。」と思うほどだった。

しばらく、元教師のフランス人マダムの家にホームスティした後に、17区のアパルトマンで一人暮らしをしていた。パリでよく見かける白い格子の窓を開けると、真正面に程良い距離感でエッフェル塔が見える。

フランス人の友人にもらった木製のソファに、マーケットで買ってきたファブリックを自分で縫い合わせカーテンやベッドカバーにしたりと、アンアンに出てくるようなちょっとしたフランス田舎風のインテリアが毎日の生活を楽しくしてくれた。

それはそうと、学校が休みの時にお昼頃から練習を始めて、まだ練習したいけど、そろそろ夕飯を食べなきゃ、と時計の針を見ると、ギョギョッ!夜中の12時を過ぎていることがしばしば。

で、先日書いたブログでの森羅万象と言う本の中の一節。

「覚醒者の特徴の一つには、時間の超越があります。人間は、長年にわたり意識の集中を鍛錬すると、意識の深い領域が現れてきます。例えば、一芸に秀でた人が長年その得意な作業に忘我で臨み続けると、仕事とはまったく関係のない、人生の意味を感じだす。人間の心とは宇宙のように奥深いものなのです。」

パリでの私がまさにそうだったかもしれない。進級試験(フランスではこれをコンクールと呼ぶ。)にバッハのプレリュード・フーガ・アレグロからフーガが課題曲になったが、それを機に、コンクールが終わった後も、よくもまぁ飽きもせずにこの曲ばかり毎日毎日永遠と弾き続けていた。

フーガとは簡単に言えば、ひとつの主題があって、各声部に定期的に模倣反復が出てくるバッハやヘンデルによって確立されたものなのだが、この繰り返しテーマの部分を各声部の中で聴くことによって、何か曲の中、あるいは体の中で大きなグルーヴ感を生みだしていたのではないかと思う。

練習をする時には、必ずこの曲をまず弾いて、その他の曲に臨むという繰り返しを数年続けた。これは練習を始める際の儀式のようでもあった。今考えれば、その曲は私にとって、一種の瞑想になっていたのかもしれないと思う。弾いているうちにとても穏やかで心の深いところまでいけるような、そんな時間だった。
 
 

その曲が課題曲になった年の進級試験は、全員一致の1位でした。

自慢しているわけではなく、その時の覚醒していた演奏が審査員たちに空気の振動で伝わったのではと思ったのです。