2013年8月29日木曜日

夏の終わりに。


先日はマリオネットさんのプライベートコンサートのお誘いが当日急にあり、どうしようかと一瞬迷いましたが、いつまた拝聴出来るかもわからないと思い飛んでかけつけました。

パートナーの吉田さんはマンドリュート、ギター、マンドリンと演奏なさいますが、今回はマンドリンを沢山演奏してくださいました。ドイツのケルン音大で学んでらっしゃいます。

ファドの合間に蘇州夜曲を弾いて下さった時のマンドリンの音色が未だかつて聴いたことがないような、なんとも柔らかく優しいトレモロで、一瞬涙が出そうになりました。

もちろん曲想によって弾き分けているのでしょうけど、それは単にトレモロの音が良かったというだけでは感動しなかっただろうと思います。音楽性も含めて良かったと思えたのですね。

このような抒情的でシンプルな曲は余りにも情感を込め過ぎてもうっとうしくなってしまいますし、かと言って淡々と弾くのもその人の歌心の無さを疑われてしまいます。

しかし吉田さんの演奏は情感や歌心のバランスがとても良く、これが「センス」というものではないだろうか、と思いました。

また、その感動を味わうことが出来たのも湯浅さんの楽器編成などのお心遣いがあってこそだったのかもしれませんね。ライブの間は本当に優しい時間が流れていました。

前日には「近くまできている。」と連絡をくださり急にお会いすることに。音楽の話し、それにまつわる興味深いお話し、今後のアドヴァイスをして下さったりと有難い時間を過ごしたのでした。

夏の間は最近始めたフランス語講師として在籍している語学スクールの子供たち30人と先生方7、8人で1泊2日のキャンプ、ナント美術館の学芸講座、リコーダーとのアンサンブル、親戚の別荘で過ごしたお盆休み、花火大会、夏祭り・・・と決して華やかではないけど、しばらく忘れていた何気ない日常が私にとっては、とても新鮮で全て楽しく過ごしました。

夏のしめくくりは、心を洗い流しにお気に入りの海を見に行こう。

そこはひっそりとした場所で、誰も知らない美しすぎる透明感と寂しさを感じさせるところ。

その寂しさを感じながら、一人静かに眺めるのが好きなのです。

☆マリオネット http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=s4BHEy_-xlc

2013年5月16日木曜日

体力づくりに励んでます。


ここ最近は朝7時に起床し、ウォーキング、筋トレを頑張っています。あ、でも私の場合は元々あった体力を更に強化するのではなく、元の体力や筋力に戻す作業をしているのですね。しばらく活動休止していましたので。

ギターの練習もやり出すと夢中になって何時間でもやってしまい、そのあとの体の痛みが最近ひどかったもので、ほどほどに焦らないで少しずつを心がけています。練習前後のストレッチ、呼吸法、脱力に気を遣っても間に合わない場合もあります。

そこで工夫して実際にギターを持たなくても練習出来るように、今日から譜面だけでイメージトレーニングし、最終的には譜面もギターも持たずに練習しようと思っています。

かと言ってやはり当たり前ですけど、最終的には楽器を弾かなければ本当の意味での練習にはならないのは言うまでもないですが。。。工夫しながらまた以前の生活に戻していけるように努めていこうということですね。

体が痛い時には、語学の勉強、編曲をこころがけたり、時間に無駄がないようにしたりと、今まで休んだことへの焦りを少しでも解消出来るように努力しています。

2013年4月4日木曜日

久々にイギリス時代の女友達と。


先日は、イギリスから帰省した女友達と(関東にいるので)電話で長い間積もる話しをした。

開口一番に「もうミホにさ~会いたくて会いたくてしょーがなかったよ~!!」というフレーズで始まった。同性の友人からこんなにラヴコールがあるのは嬉しい。電話だけでも、コンタクト取れて良かったとお互いの胸の高鳴りを静めたりなんかして。。。

これからは(イギリスに帰ってからは)スカイプで話そうよ、ということになった。彼女も男の子2人のお母さんになって更にたくましく、そして温かな女性になっていた。

独身の時には彼女のお父さんは映画の配給会社の社長だったこともあり、映画の買い付けにカンヌ映画祭に毎年来ていた。一度フランス留学中にカンヌで合流したことがあったけど、近くでいい所があるんだよ、とアンティーヴに連れていった。

アティーヴは南仏の小さな街で、ピカソが晩年すごしたお城を改装したアトリエがある、いわゆるピカソ美術館があるので有名だ。

晩年の作品を見るのも良かっただろうが、そのお城から見渡すオレンジ色の南仏の家々の屋根と白い壁、そして地中海のどこまでも広がる青い海とのコントラストに、彼女は感激したようだった。

今は家事と子育て、普段の休日にはご主人のヨットで、夏のヴァカンスにはフランスの別荘で過ごしているそう。いいねいいねぇ~。


お互い離れているけど、これからもお互いがんばろうね。彼女も私も、それぞれ、それなりに苦労してきたことが今回わかったからなぁ・・・。ここでは苦労話なんて書けないから。




2013年3月23日土曜日

これからの音楽。

2011年、3.11の東日本大震災のときに、とっさに思ったこと。

それは、私達音楽家に何が出来るのか。あの時には、ただただ自分に出来る許容範囲内で、本当にわずかなことだったかもしれないが、考え、走り回った。

そして次に思ったことは、これからの音楽の方向性だった。


自分自身への問いも含め、今までの音楽の在り方は何かとても違和感を感じるようになった。いや、私は最初から違和感があったが、生きていく為に妥協してきたのかもしれないと思う。

やはり、芸術は人の為にあるものだ。だからと言ってただわかり易い安易な曲をやればいいというわけではなく、新しいものを生み出しつつも、クラシックを知らない人も、ギター音楽って何?という人にも、心の中へスーッと温かく入り込んでいく音楽をやりたいな、と震災以降思うようになったのだ。

もちろん、音楽学生やマニアのことも考えている。すごく考えている。真剣に考えている。

だけど商業主義の上辺だけの音楽はもう終わりにしたい。


震災後、誰もが何もかもが行き過ぎた、と感じたと思う。自然破壊や社会の在り方、家族の大切さなどあらためて考えたのではないか。しかし皆忘れている。音楽も行き過ぎていたと思わなかったのだろうか。。。


これからは、どのように音楽を通して人とコミュニケーションしていくか、模索中だ。


2013年3月6日水曜日

パリの屋根の下のフーガ。

先日、ブログで「パリに居る頃の私は覚醒していた。」という話しの続きです。。。


パリでエコール・ノルマル音楽院のギター科に留学していた頃、ギターを強要されないで、自分自身の意志で学ぶことがこんなにも楽しいものかと、取り憑かれたように寝ても覚めても練習、練習で一滴の学びも逃したくないと思っていた。

それは通りを歩いていも音楽のことばかり考えて、道行く人にぶつかってしまうほど、友人とレストランで食事をしていも「早く帰って練習したいなぁ。」と思うほどだった。

しばらく、元教師のフランス人マダムの家にホームスティした後に、17区のアパルトマンで一人暮らしをしていた。パリでよく見かける白い格子の窓を開けると、真正面に程良い距離感でエッフェル塔が見える。

フランス人の友人にもらった木製のソファに、マーケットで買ってきたファブリックを自分で縫い合わせカーテンやベッドカバーにしたりと、アンアンに出てくるようなちょっとしたフランス田舎風のインテリアが毎日の生活を楽しくしてくれた。

それはそうと、学校が休みの時にお昼頃から練習を始めて、まだ練習したいけど、そろそろ夕飯を食べなきゃ、と時計の針を見ると、ギョギョッ!夜中の12時を過ぎていることがしばしば。

で、先日書いたブログでの森羅万象と言う本の中の一節。

「覚醒者の特徴の一つには、時間の超越があります。人間は、長年にわたり意識の集中を鍛錬すると、意識の深い領域が現れてきます。例えば、一芸に秀でた人が長年その得意な作業に忘我で臨み続けると、仕事とはまったく関係のない、人生の意味を感じだす。人間の心とは宇宙のように奥深いものなのです。」

パリでの私がまさにそうだったかもしれない。進級試験(フランスではこれをコンクールと呼ぶ。)にバッハのプレリュード・フーガ・アレグロからフーガが課題曲になったが、それを機に、コンクールが終わった後も、よくもまぁ飽きもせずにこの曲ばかり毎日毎日永遠と弾き続けていた。

フーガとは簡単に言えば、ひとつの主題があって、各声部に定期的に模倣反復が出てくるバッハやヘンデルによって確立されたものなのだが、この繰り返しテーマの部分を各声部の中で聴くことによって、何か曲の中、あるいは体の中で大きなグルーヴ感を生みだしていたのではないかと思う。

練習をする時には、必ずこの曲をまず弾いて、その他の曲に臨むという繰り返しを数年続けた。これは練習を始める際の儀式のようでもあった。今考えれば、その曲は私にとって、一種の瞑想になっていたのかもしれないと思う。弾いているうちにとても穏やかで心の深いところまでいけるような、そんな時間だった。
 
 

その曲が課題曲になった年の進級試験は、全員一致の1位でした。

自慢しているわけではなく、その時の覚醒していた演奏が審査員たちに空気の振動で伝わったのではと思ったのです。

2012年4月27日金曜日

連絡のお願い。

久々の日記です。なんとか生きています。皆さんは今年は桜はご覧になりましたでしょうか。。。

桜はつぼみ、満開、風にふかれて散る花びら、葉桜と、ずっと楽しめますよね。桜は毎年見ても飽きない不思議な美しさがあり、見ているだけでも幸せな気持ちになります。


ところで、皆様には大変お手数をおかけしますが、携帯の破損に伴い全てのデータを失くしてしまいましたので、このブログをご覧になった友人、知人の方々、メールアドレスは変わっておりませんので、ご連絡頂けますと、大変助かります。

ご迷惑をおかけしますが、どうぞ宜しくお願いいたします♪

2011年12月3日土曜日

もうすぐクリスマスですね。

今まで、載せたかったけど、どうしようかと2年間戸惑っていた日記を公開。

クリスマスの時期になって、今朝目が覚めたらふとそのことが頭をよぎったので。


去年のクリスマスはフードコーディネーター件お料理の先生の素敵なスタジオにて、私の演奏を交えて20数名でクリスマスパーティーで盛り上がった。あの頃は楽しかったな。

そして、一生忘れ難い、おととしのクリスマス、12月25日、スィートベイジルでのビッグなクリスマスプレゼント☆

それは私が小学生の頃から憧れだった加山雄三さんにご対面出来たことだ。日野照正さんの恒例のクリスマスライブのシリーズにいつもトリでゲスト出演される。



ここに至るまでの話しがまた不思議なストーリーなのだ。

私が小学生の低学年の頃だっただろうか、テレビをぼんやり眺めていたら、加山雄三さんがステージの奥から颯爽とダンディな雰囲気で登場し、歌い始めた彼にくぎ付けになってしまった。

私からするとお父さんくらいの年代なのに、何故小学生の私がその姿に胸をトキメかせたのか解らない。しいて言えば、幼稚園の時にフランク・シナトラが好きだったから、ダンディな雰囲気と声がもしかしたらそれとオーバーラップしてしまったのか・・・。

特に理由はわからない、子供だから本能的に好きになっただけだ。それからというものの、毎日胸をときめかせて、夢の中まで登場する始末(笑)。


と、それから数年後、小学6年生の頃に、大阪の叔父の家で皆でまたぼんやりとテレビを見ていたら、加山雄三さんが。。。「実はね、」と叔父が話し始めた内容に驚いてしまった。

嘘のような本当の話。「実は加山雄三さんのお父さんの上原健さんは元々鹿児島で、うちと繋がっているのだよ。遠縁なんだよ。」と。

具体的にどういう風に繋がっているかは、ここではプライバシーになるので書かないが、叔父の話に耳を疑った。叔父は私が実はひそかにファンだという事は知らない。そして私自身も、まだ幼かったので、本当のことを叔父には話さなかった。なんか、凄いことになっていると、その当時思ったものだ。

それから、数十年の月日が過ぎ、そのことを全く忘れていた。鹿児島の実家から横浜で一人暮らしを始めて間もない頃、日野照正さんのグループのピアニストが知人で、たまたまクリスマスに恒例の加山さんがゲスト出演する話を聞き、ライヴで彼の歌を聴くのは今しかない!と思い、直ぐに予約。(だって、一番盛り上がっていた子供の頃は、彼のライブに行ったりやレコードを買う余裕や機会がなかったからね。)

ピアニストの知人にはちょっとだけ、加山さんのいきさつを話したが、実際にお会いする話は遠慮させてもらうつもりだった。私にとっては生加山雄三を見るだけで充分幸せだったので。がしかし、知人がご本人に話しをしてくれて、お会いするチャンスを作ってくれた。ご本人も快く承諾。ライヴ後は来客で一杯になるので、コンサートの前のほうがゆっくりお話出来ますとの配慮も。

ドキドキしながら知人に連れられて、楽屋へ。

うぉ~生加山雄三さんだ!かっこいい~!!ダンディなオーラは昔と変わらず。「いや~嬉しいね!」と喜んでくださった。私のCDもお渡しして、昔ビートルズが来日した際に、直接会う事が出来た数少ない芸能人の方の一人で、ビートルズと一緒に写っている写真を見せて下さったり、湘南でサザンの桑田圭祐さんとのライブのお話などで盛り上がった。

ライヴでも、日野さんとの共演ということもあり、ジャズのスタンダードを沢山歌ってくださり、もうメロメロだ。以前からフランク・シナトラと重ね合わせていた私は、彼は英語の発音も凄く上手いし、何かジャズのスタンダートを歌ったらいいんじゃないかと日頃から思っていたから、その夢も同時に叶い、これ以上はないというくらいの、何とも素敵でビッグなクリスマスプレゼントとなった。

年を取るごとに声は衰えていくはずなのに、73歳にして私が言うのもおこがましいが、以前よりますます歌が上手くなっていて、彼のオリジナルはもちろんのこと、ジャズのタイム感覚も歌いこなしていて、凄い!とあらためて感動してしまった。

しかし、遠縁だということを知らずに、小学生の時にファンになったことも不思議だし、叔父に「実は遠縁なんだよ。」と聞かされたときに、お会いしたいと率直に思ったが、子供心にこう思ったものだ。

「焦らなくてもいい。黙ってギターを黙々と弾いていれば、いつかきっと会える日が来る。」と。


その日が、2009年の12月25日、クリスマスの日だったとは。