2011年2月11日金曜日

ジョビンの音楽をあらためて考える。

今から8年ほど前のことだっただろうか、まだ私が鹿児島にいる頃に東京から来鹿した、あるジャズミュージシャン達のライヴに飛び入りで演奏したことがあった。

その時は真夏の奄美大島ということもあって、なんとなくイパネマの娘をサンバという解釈で熱く演奏し(笑)、ブラジル音楽の人前での演奏は初めてだったので、私としては、ただただ夢中で弾き終えただけでも満足だったのだが、どうしてしまったのか・・・???というほどお客様の反響が熱狂的だった。満月の夜だったからだろうか!?

そこまでは良かったのだが、その後メインのあるジャズミュージシャンに「ボサノヴァはさ~、あんなに激しく弾くものではなくて、もっとまったりしたタイム感覚で弾くものだよ!」と激しく指摘された。

一般的にはそうだよね。そんなことは百も承知だった。私は初めてボサノヴァを聴いて好きになったのはランドセルを背負ってした頃・・・小学生の頃からジャズもボサノヴァも聴いてきたし、それに関してのあらゆる書籍も読みあさったので彼の言うことはよくわかっていた。

しかし、そのジャズミュージシャンの初の奄美公演を楽しいままで過ごしてほしい、またはジャンルは違えど、先輩ミュージシャンをたてて言い返すことはしなかった。

10年程前からだろうか、東京へ出向いてブラジル人のミュージシャンのワークショップを何度か受けると彼らが必ず言うのが、イパネマに限らずボサノヴァと一般的に言われている曲を「それはボサノヴァではない、サンバなんだ。ジャズと融合していると言うけどそれは違う、僕らの音楽なんだ。サンバなんだよ。」とどんな人も強調することに気がついた。

ジャズのハーモニーやフランス近代音楽のボキャブラリーの影響は確かに見受けられるのだが、彼らが何故そこまでしてそのように言い張るのかということをあらためて考えてみたかった。何かそこには理屈ではない、日本人には、または外国人には解らない胸の内があるのではないか、と思った。

それが何かなのか知りたかったが、取りあえずサンバで(もちろんサンバ自体も本当にわかって弾いていたとは思わないが。)私なりに、彼らの気持ちに敬意を表して自分なりに挑戦してみたわけだった。

昨夜、やはり10年程前に買ったジョビンの伝記をまた読み返してみた。それはジャズに影響を受けているかどうかが疑問で読もうとしたわけではなかった。ただ以前読んだ際に一か所だけ飛ばして読んでない個所があるから漠然と手にとってみただけだった。

その項目はジャズピアニストの山下洋輔氏がジョビンに出会ったときの事が書かれているものだった。それはこういうものだった。

「記者会見が始まり、ジョビンに対して当然開口一番に、ジョビンの音楽とジャズの関係について質問があり、発せられたジョビンの言葉に非常に驚いた。ージャズはよく知らない。私は私の、ブラジルの音楽をやってきただけですー僕には彼がジャズから全然影響を受けなかったはずはないという感触がある、なのに何故彼はそんなに強い確信を持ってそう言い張るのか、解き明かしたいという気持ちになった。」

というものだった。ジョビンはその記者会見の時にイパネマを演奏し、なんのてらいも特別な工夫もない、ただその人がそこにいてその人の音楽をやっている。何物にも代えられない自分の世界だった。異様な感動をおぼえた。と山下氏は語っていた。

全く同じ事を思っていた山下洋輔さんの箇所だけ読んでいなかった事に10年間一人で考えさせられていた事に何か必然的なものを感じたりもした。新たなスタートとして今読むべき内容だったのだね。

続きはまた次回。。。明日は寒くなりそうですね。おやすみなさい。