3.11以来、海外のギター制作家や西日本の友人や音楽仲間から、出来ることを協力したい、ヨーロッパの我が家にホームスティしたら?疲れたら名古屋へ遊びにおいで、などなどあらゆる優しい気持ちをあちらこちらからもらっている。
鹿児島では同級生達が数人集まって、余り地震や原発のことには触れず、わざと冗談ばかり飛ばして私を笑わせてくれた。本当によく笑ったなぁ・・・。今のうちに食べておきなさいと言わんばかりに、同級生なのに、まるでお母さんが子供に言うように、あれ食べなさい、はい、次はこれ、これも美味しいよ、と鹿児島の郷土料理を次から次へとごちそうしてくれた。
鹿児島ではとにかく、被災地に送る物資や関東に送る水の手配などしていたから、毎日皆のことが気がかりでゆっくりしたという感触は余りなかった。
笑い飛ばして気丈に振舞っていたせいだろうか。
先日、名古屋の音楽仲間からの「お互い明るく前向きに、用心することはして、心をしっかり持って生きていこうね。疲れたら名古屋へ遊びにおいで。」
というメールに今まで張りつめていた心の糸がほどけていくように、涙がポロポロと流れた。
仕事柄、疲れてなんかいられないし、笑顔でどんな時も他人を励ましたり癒したりしなければいけない、という気持ちが身についているせいか、余り甘えることがなかった。
その歌い手の女友達が手を広げて、休んでいいんだよ、と優しく包み込んでくれたことで、今まで気を張ってやってきたんだな、と気付かさたのでした。。。助けることばかり考えていたからね。
6才よりクラシックギターを始め、高校2年在学中に初のソロリサイタルを開催。パリ・エコール・ノルマル音楽院ギター科演奏課程修了。ウィーン国立音大教授K.ラゴスニック、A.ピェルリ各氏に師事。 ヨーロッパ・クラシックギターコンクール第2位。山陰ギターコンクール第1位。長崎ギターコンクール第1位。名古屋ギターコンクール第2位。全国各地13か所、ロンドン、パリ、ポルトガルにて通算25回のソロリサイタルを開催する。 Fl.赤木りえ、M.グローウェル、Vn.大谷康子、会田桃子、G.レオナルド・ブラボー、Jazz Pf.石井彰、Vo.中孝介各氏と共演。クラシック~ポピュラーまでボーダーレスに活躍する。1st CD「ANO ZERO」2ndCDブラジル音楽作品集「Stone Flower」をリリース。みやまコンセール協力演奏家。現在、鹿児島市内の教室にて後進の指導にもあたる。地元のテレビ局をはじめ、日本テレビ、NHKなどに出演。鹿児島を拠点にしながらGGサロンコンサートに数回に渡り出演、現代ギター、CDジャーナル、ザ・フルートなど音楽専門誌にも多数記事が掲載される。
2011年4月26日火曜日
2011年4月4日月曜日
東京の人々。
東京を中心に神奈川、埼玉、千葉の関東の人達だって充分被災者だ。
もちろん東北の被災地が一番悲惨なのはわかっている。でもメディアは被災地の情報しか流さない。でも、もう東京の人達は皆疲れきっている。地震に原発の恐怖と戦いながら毎日仕事をしているのだ。身の危険はそれだけではない。水道水や野菜の放射能汚染にまで神経をすり減らし、自分のことは息を殺して耐え忍び、子供の安全を考え、そして会社へ行く。
家も洋服もあるから物資をもらえるわけでもないし義援金もない。だから疲れ切った心も体も奮い立たせて会社へ行く。
被災地の人達に何も出来ない自分が悔しい、と言った人がいた。そんなことは思わなくていいと思う。こんな状況の中で毎日仕事をしているだけで、もうそれだけで充分過ぎるくらい日本の為に尽くしていると思う。しいてはその先に被災地の人達に想いが届いていることと同じことだと思う。
私も3・11から何もせずにはいられなくなって、私自身の置かれている実情を忘れてしまって実家の親と協力し合って、布団や毛布、防寒着とセーター、少しの義援金を個人的に信用している所を通して被災地に届けた。確実に届く方法で。米とミネラルウォーターは茨城の友人の家族へ。ミネラルウォーターは東京の生徒たちへ。
大した事は出来なかったかもしれないが、無理して許容量を超えるような事をして共倒れになったりなんかしたら、本末転倒だ。
海外の友人から空いている部屋があるから我が家へおいでと言われているが、そこまではちょっと出来ないな。そんなことをしても、本当に幸せだとは思えないから。
私は東京の人々を本当に癒してあげたい。安全で温かい温泉でも入ってもらって、思いっきり何の疑いも持たずに美味しいものを食べてもらって、地震のことなど心配せずに安眠し、朝起きたら新鮮な空気で思い切り深呼吸してもらえたら、どんなに幸せだろうか。。。
私の知っている人達だけでも一生懸命働いて、そうしてあげたい。そのために働いても惜しくない。
もちろん東北の被災地が一番悲惨なのはわかっている。でもメディアは被災地の情報しか流さない。でも、もう東京の人達は皆疲れきっている。地震に原発の恐怖と戦いながら毎日仕事をしているのだ。身の危険はそれだけではない。水道水や野菜の放射能汚染にまで神経をすり減らし、自分のことは息を殺して耐え忍び、子供の安全を考え、そして会社へ行く。
家も洋服もあるから物資をもらえるわけでもないし義援金もない。だから疲れ切った心も体も奮い立たせて会社へ行く。
被災地の人達に何も出来ない自分が悔しい、と言った人がいた。そんなことは思わなくていいと思う。こんな状況の中で毎日仕事をしているだけで、もうそれだけで充分過ぎるくらい日本の為に尽くしていると思う。しいてはその先に被災地の人達に想いが届いていることと同じことだと思う。
私も3・11から何もせずにはいられなくなって、私自身の置かれている実情を忘れてしまって実家の親と協力し合って、布団や毛布、防寒着とセーター、少しの義援金を個人的に信用している所を通して被災地に届けた。確実に届く方法で。米とミネラルウォーターは茨城の友人の家族へ。ミネラルウォーターは東京の生徒たちへ。
大した事は出来なかったかもしれないが、無理して許容量を超えるような事をして共倒れになったりなんかしたら、本末転倒だ。
海外の友人から空いている部屋があるから我が家へおいでと言われているが、そこまではちょっと出来ないな。そんなことをしても、本当に幸せだとは思えないから。
私は東京の人々を本当に癒してあげたい。安全で温かい温泉でも入ってもらって、思いっきり何の疑いも持たずに美味しいものを食べてもらって、地震のことなど心配せずに安眠し、朝起きたら新鮮な空気で思い切り深呼吸してもらえたら、どんなに幸せだろうか。。。
私の知っている人達だけでも一生懸命働いて、そうしてあげたい。そのために働いても惜しくない。
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