2013年5月17日金曜日

模索Ⅱ。


先日のブログで、これからの音楽の方向性模索状態、と書いた。で、あれこれ考えていたら、私が16才の時に開催したリサイタル後に、現代ギター社からリサイタル開催後の感想や音楽観、何でも良いので「リサイタルによせて」みたいなタイトルで書いてほしいと依頼があったことを思い出した。

その時の文章の中に「私はクラシックを中心にジャズやロック、民族音楽色んなジャンルの音楽が好きです。これからは既成の音楽の枠を超えた所で表現していきたい。」(一部省略)と書いていた。

その言葉にハッとさせられ、16才の時の私に何か教えられたような気がしたのです。

でもきっとこれを見ている方々は16才で生意気な、とか若いね~なんて思われる方がいらっしゃるのかもしれませんけど。(苦笑)ただ、やみくもにそんな事は言っているわけではないので、一応その時のプログラムをご紹介しておきますね。

 (一部)                    
                              
 
 1.大序曲            ・・・ ジュリアーニ                       
 
 2.ファンタジー         ・・・ ヴァイス                    
 3.シャコンヌ           ・・・ バッハ          
 4.舞踏礼賛           ・・・ ブローウェル        
 5.魔笛の主題による変奏曲 ・・・ ソル  
 6.グラン・ソロ                          ・・・ソル           

(二部)
1.5つのプレリュード No. 1~5 ・・・ ヴィラ=ロボス
2.アラビア風奇想曲        ・・・ タレガ            
3.アルハンブラの想い出      ・・・ タレガ
4.トリーハ、マドローニョス    ・・・ トローバ 
5.ソナチネ              ・・・ トローバ
6.歌と部曲No.1          ・・・ ピポー

この時には200人のホールが満席、立見になりました。プロフィールにはないのですが、中学3年生のときにも小さいですが、50人くらいのリサイタルを開いていて、その時にはテデスコのソナタやブリテンのノクターナルなんかも弾いています。バロック、古典、ロマン派、近代、現代とやっているのがギタリストだったらわかりますよね。

まだまだ未熟ではあったのかもしれませんが、ただ録音を聴くと、全曲もちろん暗譜、ノーミスで弾いています。(ギターソロは基本的に暗譜、そして繊細な楽器なのでアクシデントの起こりやすい楽器なのです。プロのリサイタルでもちょっとしたミスは結構あるものです。)ちゃんとやる事をやって「既成の音楽の枠を超えたところで表現したい。」と言っているのです。

これは何も自慢をしているわけではなく、例えば16才という年齢で、中級クラスの曲をちょこちょこっとやって、同じ事を言ったら滑稽ですよね。だから誤解ないように説明させてもらっているのです。仕事上、立場上、誤解されたら本気で困るので。。。

ブログというのは、活動のお知らせだったり、読者に何か有益な情報を伝えたり、そんな役目がありますが、他に自分自身の確認の場でもあったりするのではないかな。

書いていくうちに、模索していることが段々わかってくるというか・・・ただ既成の音楽の枠を超えたところで表現といっても、その頃の私は何を考えてそう言ったのか、作曲するつもりだったのかわらないけど、今のところ作曲はするつもりはないかな。。。しようと思ってもそう簡単に出来るものでもないしねっ。

でも今後のヒントになったのは確かです。


 




2013年5月16日木曜日

体力づくりに励んでます。


ここ最近は朝7時に起床し、ウォーキング、筋トレを頑張っています。あ、でも私の場合は元々あった体力を更に強化するのではなく、元の体力や筋力に戻す作業をしているのですね。しばらく活動休止していましたので。

ギターの練習もやり出すと夢中になって何時間でもやってしまい、そのあとの体の痛みが最近ひどかったもので、ほどほどに焦らないで少しずつを心がけています。練習前後のストレッチ、呼吸法、脱力に気を遣っても間に合わない場合もあります。

そこで工夫して実際にギターを持たなくても練習出来るように、今日から譜面だけでイメージトレーニングし、最終的には譜面もギターも持たずに練習しようと思っています。

かと言ってやはり当たり前ですけど、最終的には楽器を弾かなければ本当の意味での練習にはならないのは言うまでもないですが。。。工夫しながらまた以前の生活に戻していけるように努めていこうということですね。

体が痛い時には、語学の勉強、編曲をこころがけたり、時間に無駄がないようにしたりと、今まで休んだことへの焦りを少しでも解消出来るように努力しています。

2013年5月14日火曜日

普遍性。


スティーヴ・ライヒで思い出したのだけど、イギリスに留学していた時に、知人がアート雑誌の編集をしていて、取材のアシスタント(とは言っても学生だったので無償で勉強の為に手伝っただけ。)でフィリップ・グラスのオペラを見にいったことがある。フィリップ自身が演奏していた。

その頃二十代そこそこの私は、フィリップ・グラスに直接会えるなんて・・・と緊張して固まってしまい、アシスタントとは言ってもその知人がほとんどインタヴューしていた。

ライヒの音楽は構築性があるのに対してグラスは直線的でメロディアスな音楽なんでしょうかね、あんまり詳しくないのだけど。グラスは大きな一区切りとしてミニマルの一人として挙げられるけど、劇場音楽や映画音楽なんかも作っているのに対して、ライヒは全くやっていない。

でも、彼の音楽を聴くと、映像が浮かんでくるのは何故なのかな。彼の音楽こそ映像と組み合わせてやったらいいのに。特にドキュメンタリー映画なんか。

音楽をあんまりカテゴライズするのは好きじゃないけど、ミニマルは当時新しい音楽なはずだったのに今は何にも興味がない感じがするのはどうしてだろうか。「新しい」と言ってしまったからだね、きっと。バッハの音楽が今でも新しいのは何でかな。

新しいことをわざわざやろうなんて思っていて出来たものではないからと想像出来ますよね。音楽家、あるいは絵描きでも建築家でも、新しいことをした人達は彼ら自身の存在そのものが優れていて、そのまま求めるものが、結局新しいものに繋がっていったということなんですね。

そういった作品群は普遍性があるのですね、きっと。。。なんか、難しい。ブログって。気を遣うね。

模索Ⅰ。


以前、3.11以降の音楽の方向性のことを書いた。まだ横浜に居る時に、震災直後に電車の中で若いサラリーマン達が「なんか人生観変わるよなぁ~。」と話しているのが聞こえた。

私も心の中で、「うん、そうそう人生観変わる=これからの音楽観も変わる。」と思ったものだ。

ところで、以前から気になっていた言語と音楽の関係について、もっと掘り下げて考えてみたいと思い、ロンドンデリー歌や庭の千草、サリーガーデン、蛍の光など、アイルランドやスコットランドの民謡がどうして日本人の心にしっくりくるのか、ということを常々考えていた。

英語でばかり歌われているロンドンデリーやサリーガーデンをゲール語で聴いてみた。もしかしたらゲール語に何かヒントがあるかもしれないと思ったからだ。

なるほど、と思った。音節が一つ一つ区切られている。それは日本語にも共通するものがあると思った。ドリア調やミクソリディア調も何か日本人の心をくすぐる何かがあるのかも、とかそんなことを考えていたら、急に奄美の島唄を聴きたくなった。

中孝介くんと共演した時に、ギター&パーカションでロンドンデリーの歌と、ソロでサンシンを弾きながら島唄も歌ってもらった。彼は本当に謙虚で心根の優しい人なのだよね。そんなのもあいまって良いなと思うのだ。

で、彼の島唄のCDを探していたら、その隣にスティーヴ・ライヒのCDがあったので、エレクトニック・カウンターポイントを久しぶりに聴いてみた。今聴いたらどんな感触を受けるのかと思って。

15年程前に、本気でこの曲をやろうと思って楽譜も入手して準備していたのが、手つかずでそのままになっていた。そうこうしているうちに、演奏する興味も次第に薄れてしまいました。

ただ、その曲はパット・メセニーという人を想定して作られたものだから、どうなのかな。私なんぞが演奏しても、その曲の良さは再現出来るのだろうか。メセニーの音を聴きながら手元にある楽譜と照らし合わせてみると、ジャズ・フュージョンのタイム感覚とかビート感とか、彼の弾くアコースティックギターの音色とかそんなのが組み合わさって、当時の私はいいと思ったに違いないと思った。だから昔やれなかったから、今やる、というのは何か違うような感じがした。

ただ、ミニマルのグルーヴ感とかずれの音の干渉?うーん、私には浮遊感だと感じる。なんかは聴いていて心地良いものだなとは思うけれど。特にドラミングなんかは。

ま、いいや。それよりこれから何がやりたいのか、ブログを書いたり、人と出会ったり、少しずつ練習したりしているうちに、「これ!」と思う時が来るのかな。