2014年8月28日木曜日

もう夏休みボケは今日でお・わ・り。


 

さて夏休みももう終わり。

秋に向けてのコンサートやリサイタルの選曲もほぼ決まり、本格的に練習開始!!

編曲も多数あって傍から見ると大変そうに見えても、その考える時間が楽しいのですね。

苦悩も楽しみのうちです♪

ウオーキングも筋トレも何もかも本腰入れて頑張るのだ!!いい仕事をしていくにはとにかく心身ともに健康でいること。健康で良い仕事が出来ていれば、それだけで幸せです。



2014年8月26日火曜日

極める。





15年ほど前に、霧島のあるヴァイオリン工房を訪れたことがありました。

そこにはヴァイオリン製作に情熱を燃やす黒田義雄さんと、ウィーンから一時帰国された清々しくはつらつとした娘さんのヴァイオリニスト、黒田印南さんがいらっしゃいました。

今年話題の「黒田管兵衛」や洋画家「黒田清輝」とも繋がりのある方です。
 
あれから十数年経った先日、そのヴァイオリニストの印南さんから、お父様の記事が記載された情報誌が届き、そのお父様とある記者との対談に深い感銘と共感を覚えました。

「力木と魂柱の微妙な形とわずかな位置の違いがヴァイオリンの個性や音を決める。そこで失敗したら完成までの苦労は水の泡で、長い経験と試行錯誤が必要。」

「80以上の部品が完全に噛み合って理想的な音質が得られる、どこかで間違うと何十年も弾きこむ価値のある音ではない。」

多少の違いはあってもギター製作にも通じるところがあって、無我夢中で読みました。

この対談や黒田家の道の全てが面白く、深くうなづきながら拝読しましたが、一部だけ抜粋、紹介してみます。


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 ・ヴァイオリンは今はクレモナだけの物だけではなく作り手は世界中に広がっており、それぞれの  国の風土を感じさせる物が評価されるのですよ。

・日本人のために日本で創るヴァイオリンが当然あるべきなのですが、肝心の音楽関係者が感心を持ってくれない。せめて「ここが悪い」と批判でもしてくれたら。→(記者)いやしくも専門家であれば、芸術家や教育者ははつらつとした好奇心を持って欲しいですね。

・考えてみれば、芸術家とは決して変質しない職人魂なのですね。ミケランジェロもベートーベンもゴッホも怒りを込めて時代と切り結んだ職人だった。
 
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最後に「黒田さんのように妥協のできない人は戦い続けるしかないのでしょう。今の時代、それが出来るのは最高に幸せな人かも知れません。」と締めくくってありますが、本当に一つの事を極めることは無限の宇宙のように奥深いもの。

私も今のこの時代にギターを続けられることを幸せに思いますが、同時にこのような混沌とした時代だからこそ、文化が必要とも言いたい気もするのです。

どこかの賢い方(笑)の「いつの世も文化が経済をリードしてきた。」と言ったこの言葉が本当であってほしい。人生とは、芸術とは従来の価値観とのせめぎ合いの混乱から生まれ、成長していくのではないかと当たり前のことながら思いました。

次時代へのバトンタッチ、過程のなかで生きているのですね。

 

2014年8月20日水曜日

夏の終わり。




やっと長い長いお盆が終わりました。

田舎のお盆は同窓会にお墓参りに親戚の集まりに・・・とてんこ盛りです。

音楽をやっていて良かったなと思うのは、こういった人が集まる場所にギターを持って行くと、それを通じてコミュニケーションが一気に深まります。

親戚も色んな人達がいて、いつも上手くいくとは限りません。

ギクシャクした人間関係も、音楽一つで心のわだかまりが一気にほどけていくものですね。

人と人を繋げる言葉の要らない豊かなもの、音楽をやっていて良かったとつくづく思います。

2014年8月13日水曜日

迎え火、送り火。




今日からお盆で、早速我が家もお墓参りに行ってきました。

昔のように迎え火を炊いて、提灯を立てて、今は亡き人達とお酒を一緒に飲んでみたかったけど。今は子供の頃、提灯を立てる担当の人も懐かしい存在の人になってしまった。

こういう気持ちは日本人のサウダージと言えば良いのかな。。。

私は相変わらず、自分の音楽の方向性に悩んでいる。悩んでいるということは、成長しようとしているということだから、悪い事ではないけど、苦しいですね。

特に3年半前のゾロ目の日以来、ただ好きなことだけやっていけばよいのか、それとも音楽を通して世の中に何か貢献出来る事をやって行かなければいけないのか、悩んでいると言えば、その日からずっと悩んでいるなぁ。

とはいえ、やはり音楽は素晴らしいもの。どんな形でも続けて行きたい。そして周りの人に改めて、今の自分があることに感謝したい気持ちです。

2014年8月3日日曜日

左手で創っていく。




よく昔からギターは左手で弾くと言われる。弾くと良い、と言ったほうがいいかな。

もちろん、意外とテクニックの向上やミスを防ぐことに、右手に原因があるということはたまに見落としがちな事ではあるけれど。

その事は置いといて、左で弾く、という意味はまずは左で押弦しなければ右手で音を出そうと思っても出ない、ことは当たり前なのだけど、このタイミングが合わない人は多く、その事に気付かずやみくもに練習してしまうケースは多い。

そしてギターソロは暗譜なので、左に神経を集中させていないと思わぬ「ど忘れ」に出遭ってしまうことがある。

この上記のことは分った上で話すことにします。

指は脳でコントロールしているのは周知のとおり。

今日閃いたことなのだけど、左は、右脳がコントロールしている。右脳は何かを創造する場所。

ということは左手で音楽を創造、想像することは出来ないだろうか。

一般的には、右手で、ダイナミクス、音色、アーティキュレーションなどなど音楽的なことは創造するものだと思われている。当たり前だけど。

しかし、左手で何か音楽的なことを感じることは出来ないだろうか。せっかく右脳がコントロールしているのだから。

脱力や指の運び等のテクニック的なこと、ヴィブラート、特殊奏法の事を言っているわけでもないのですね。これはもう既にわかっていることだから。鼻につく言い方かもしれませんが、一般の人が考えつくような事というのは、もう大分昔に勉強済みなので、これらのことを越えたことを考えているのだけど、今この場で、言葉で表現するのは難しいですね。

左手に感受性を働かせることで、何かまた一つ上の次元の音楽を創れるような気がしてきました。


最近気付いたこと。




ここのところ、トレモロの曲を弾く機会が増えてきた。

アルハンブラの想い出、森に夢見る、海のセレナーデ・・・。

私は勘違いしていた。古いものから順番に、アルハンブラを長年弾いてきたから、森に夢見るが弾けるんだと思っていた。もちろん、それも間違ってはいないと思う。

テクニック的にはアルハンブラを小さい時から弾いてきたことが活かされていると思う。

ただ、面白いことに音楽的な部分では「森に夢見る」を弾いたから、アルハンブラが変わり、「海のセレナーデ」を弾いたから、森に夢見るの音楽的なニュアンスが変わったのだ。

新しい音楽を演奏することで、古い時代の音楽のアプローチや音楽的なアングルが変わる、このようなことって、安易に気付きそうで以外と気付かないのではないだろうか・・・。

考えてみると芸術は常に進化しているのだから、新しいものから古いものが見えてくるというのはあって当たり前のことかもしれませんね。。。

*注意 : これは一通り基本的な事を勉強した上でのお話しです。何もないところから現代曲からいきなり入って同じような状況が起こるとは思えないです。。。