2013年2月15日金曜日

音楽Ⅰ。

先日、お世話になっている知人のギター製作家に私のCDを送ったところ、とても気に入ってくださって、届いてからここ数日の間30回以上は聴いているとお褒めの言葉を下さった。

どこにその魅力があるのだろうと、今探している最中とのこと。呼吸法かな?と書かれていた。

時々、そんなに沢山ではないけれど、国内外問わず自分でも面喰って呆然としてしまうような良い感想を頂くことがある。言葉にするとなんだか、自惚れているみたいだし、ちょっと気恥ずかしいので具体的には書きませんね。。。


そこで音楽とはなんぞやということを、あらためて考えてみた。
「呼吸法」と「呼吸」、とは意味合いが違うが、ここでは呼吸ということについて書いていみる。


おおざっぱに言えば音楽=呼吸で、音楽家を目指す者であれば常に呼吸は感じているだろうし、重んじているだろう。でもその根底には単なる呼吸ではなく、歌がなければその音楽に魅力は感じない。

歌と言っても、単に楽しいとか悲しいというだけでは、人の琴線に触れることはないのではないかと思う。その人が持っている宇宙的な感覚、魂が(人が生まれてくること自体宇宙的だから。)楽器を通して聞こえてくるのではないかと思う。


人生がとても奥深く、微妙で無限であるように、音楽を表現するときも私たちが元々生まれながらにして持っているものと、人生の中で経験する色んな感覚や感情、聴いてきた音楽が共鳴し合って、その人の感受性になっていく。


持っている身体能力や遺伝子に加えて、環境もさまざま、経験することも人によってさまざまだ。

大切なのは、何かを経験したとき、体験したときに、そこで感じる、気づく、考える、ことが大事だと思う。皆が同じでなくていいし、また同じであったら世の中面白くないだろう。。。

もちろん、これらのことは、それを操る技術があることが前提なのだけど。


技術的なことは、一言で言えば「ゆっくり練習すること。」それも自分が思っている以上にゆっくりと。そんなの当たり前で常識だよ、という声が聞こえてきそうだが、慣れてくると意外と忘れてしまっていることがあるし、それを根気強く続けるのは結構大変なことだから。私は楽しいけど。(笑)


出来ないことをテンポで弾いてはできず、弾いてはまたできず・・・と繰り返ししていると出来ないことを指と脳にわざわざ覚えこませているようなもの。(自分にも言い聞かせながら書いてます。)


20年前、留学中にエコール・ノルマルの友人から出来ない部分を指だけで練習しているからいけないんだよ、用は脳の問題なんだ。と言われ帰国してからその事を随分研究したことがあった。


小さい頃、学校のある日は3時間、日曜日と夏休みは8時間、一日も休まずに練習していた頃は特に工夫しなくても弾けていたけれども、だんだん大人になっていくと、そうもいかなくなるし、また、求めるものがレベルアップする。そんな時は、脳から指に指令を送る。

「上達する工夫の引き出し」はまだまだ沢山あるけれども、ゆっくり練習することから始めると、仕事や勉強で疲れた頭と体には手っ取り早い方法だろう。きっと今まで気づかなかったことに気付く。


話しは前回の「森羅万象」の続きだが、覚醒者の特徴の一つには時間の超越がある、と書かれていたが、それは当然そうだろう。(宗教とは関係ありません。私には音楽があるので。大事なのは先祖供養とご縁のある人たちに日々感謝するだけです。)

それを考えると、私はパリにいるときは覚醒していたと思う。またあの時のように戻りたい。


続きはまた次回。