2020年6月16日火曜日

BWV1006a(J.S.Bach)~プレリュード/竹之内美穂1999年1月。


家の片づけは相変わらず難航しています。

しかし懐かしいもの、忘れかけていたものを発見するのは片づけの良いところではありますよね。そんな時は体は重いけれど、心は軽くなったりします。

1999年1月のみやまコンセール「九州の演奏家たち」に出演した時の音源を見つけました。この時のエピソードを21年の時を超えてカミングアウト。

実はこの時、右手の人差し指の重篤な腱鞘炎で、セヴィリアーナ(トゥリーナ)、アラビア風奇想曲(タレガ)、BWV1006a~プレリュード(バッハ)、ブエノスアイレスの春(ピアソラ)と、全曲人差し指を使わずに演奏しています。(使用したのは、セヴィリアーナ冒頭のラスギャードのダウンだけです。)

人差し指を使わず、3本指だけで演奏していた時期は1997年~2005年頃までです。その間「ANO ZERO」というCDもリリースしています。(後半になると状態も良くなり人差し指の使用頻度は少しずつ増えています。)

当時はギターへの情熱が迸っていて、その情熱が指の悩みを超えていたんですね。その事を伏せて(公言すると言い訳のようになるので)20人~30人の個人レッスンをしながら、月に4~5本のコンサートを続けていたなんて、超人的で今思うと自分じゃないみたいな気がしてきます。

これがまだ人差し指だったから何とかなったのですよね。親指だったら致命的でした。親指を他の指で補うことはまず不可能ですからね。

現在は指が完治して15年になります。今は全く問題ありません。
今後もないと思います。

当時はパリの音楽院に通う傍ら、個人的にバロック専門の先生に師事しており、この曲は入念にアナリーゼしています。

バッハが7歳年上のヴィヴァルディの作品に影響を受けたことは、時世の成り行きからも察しられたことだろうか? この動画のプレリュードはイタリアのラテン気質、鮮烈な輝かしさを彷彿とさせ、ポリフォニーよりもホモフォニックな手法が垣間見られると思う。

私はパリ時代によく教会を訪れました。

ろうそくの火をぼんやりと見つめ、どこまでも高く石工達が形成した天井を突きぬけるような空間で瞑想にふけるその時間は、異国の地で目的に向かう孤独の置き所だったのかもしれません。

アパルトモンに帰宅すると、練習に取り掛かる最初はいつもきまってバッハの「プレリュード、フーガ、アレグロ」からフーガをルーティンのように弾いていました。
最初はエコール・ノルマル(音楽院)の課題曲の一つだったのですが、いつの間にか練習に入る前の一種の儀式のようになっていきました。本当に好きだったなぁこの曲。

話は戻りますが、この時の他3曲の演奏はミス無しで一般受けする曲でもあるのですが、あえてミスのあるこの曲をわざわざ投稿したのは、p,m,aのみの3本だけで演奏することに何の躊躇いもなく、真っすぐな気持ちで臨んだその時の何物にも代えがたいピュアな精神性に自分でも感動したからです。

テープで頂き、CDに落として更にWAVそれからYOUTUBEと4回に渡りダビングしていますので、音の歪みややライヴ感の減少は仕方がなく、その時の臨場感が伝わらないのは残念ですが、せめて記録として残しておきたかったのですよね。

あ、写真は見つからなかったので、イメージで別のコンサートの時のもの。しかも2年前の!演奏は21年前だというのに(笑)。見た目より精神年齢が19歳若いという事でしょうかね!(´・ω・`)

実際はマイクを使用していませんので、イアホンかヘッドホンをお薦めします♪