2013年3月6日水曜日

パリの屋根の下のフーガ。

先日、ブログで「パリに居る頃の私は覚醒していた。」という話しの続きです。。。


パリでエコール・ノルマル音楽院のギター科に留学していた頃、ギターを強要されないで、自分自身の意志で学ぶことがこんなにも楽しいものかと、取り憑かれたように寝ても覚めても練習、練習で一滴の学びも逃したくないと思っていた。

それは通りを歩いていも音楽のことばかり考えて、道行く人にぶつかってしまうほど、友人とレストランで食事をしていも「早く帰って練習したいなぁ。」と思うほどだった。

しばらく、元教師のフランス人マダムの家にホームスティした後に、17区のアパルトマンで一人暮らしをしていた。パリでよく見かける白い格子の窓を開けると、真正面に程良い距離感でエッフェル塔が見える。

フランス人の友人にもらった木製のソファに、マーケットで買ってきたファブリックを自分で縫い合わせカーテンやベッドカバーにしたりと、アンアンに出てくるようなちょっとしたフランス田舎風のインテリアが毎日の生活を楽しくしてくれた。

それはそうと、学校が休みの時にお昼頃から練習を始めて、まだ練習したいけど、そろそろ夕飯を食べなきゃ、と時計の針を見ると、ギョギョッ!夜中の12時を過ぎていることがしばしば。

で、先日書いたブログでの森羅万象と言う本の中の一節。

「覚醒者の特徴の一つには、時間の超越があります。人間は、長年にわたり意識の集中を鍛錬すると、意識の深い領域が現れてきます。例えば、一芸に秀でた人が長年その得意な作業に忘我で臨み続けると、仕事とはまったく関係のない、人生の意味を感じだす。人間の心とは宇宙のように奥深いものなのです。」

パリでの私がまさにそうだったかもしれない。進級試験(フランスではこれをコンクールと呼ぶ。)にバッハのプレリュード・フーガ・アレグロからフーガが課題曲になったが、それを機に、コンクールが終わった後も、よくもまぁ飽きもせずにこの曲ばかり毎日毎日永遠と弾き続けていた。

フーガとは簡単に言えば、ひとつの主題があって、各声部に定期的に模倣反復が出てくるバッハやヘンデルによって確立されたものなのだが、この繰り返しテーマの部分を各声部の中で聴くことによって、何か曲の中、あるいは体の中で大きなグルーヴ感を生みだしていたのではないかと思う。

練習をする時には、必ずこの曲をまず弾いて、その他の曲に臨むという繰り返しを数年続けた。これは練習を始める際の儀式のようでもあった。今考えれば、その曲は私にとって、一種の瞑想になっていたのかもしれないと思う。弾いているうちにとても穏やかで心の深いところまでいけるような、そんな時間だった。
 
 

その曲が課題曲になった年の進級試験は、全員一致の1位でした。

自慢しているわけではなく、その時の覚醒していた演奏が審査員たちに空気の振動で伝わったのではと思ったのです。