2015年1月24日土曜日

芸術と音楽の狭間に。




この写真は先日の長崎でのリサイタル後、奇才山下和仁さんのご両親が稲佐山展望台に連れて行って下さったものです。

山下和仁さんとは小学生の頃から(ご本人は大学生くらいだったかな?)、お父様は十代の頃から知っているので、和仁さんや私の子供時代の懐かしいお話しをしみじみと語り合いました。

本当は2014年回想のブログに入れたかったのですが、そのままになっていおり、どうしてもこの事を記しておきかったのです。

山下亨先生が、ふとおっしゃいました。「貴女はとても個性的で感受性の鋭い人だと思うのに、それをどうしてもっとギターで表現しないの?」と。

意外な言葉に驚きながらも、ここ十数年の間自分自身が悶々としていたことを、ズバリと言い当てられましたので、長年の肩の荷が下り、開口一番に「あ~良かった。私のやってきたことは間違いではなかったんですね。」と安堵したのです。

そうしたら奥様が、優しい眼差しで背中をさすってくださいました。

海外では個性(奇をてらうと言う事ではありません。)があるほうが評価されます。日本では尖った部分があるより額縁に収まるような無難な演奏のほうが好かれます。

帰国して以来、周りの声に合わせて過ぎてしまい、本来の表現が削ぎ落とされていってしまったということなんですね。

時折、子供の頃の演奏を聴きたくなるのは本来持っている自分の本質を忘れないようにしているのかもしれません。