2015年8月14日金曜日

ふと思ったのですけど。




そう言えば、よくよく考えてみると、ブラジル人のギタリスト及び作曲家のマスタークラスやワークショップなど沢山受講している事に気がつきました。

ジスモンチ、ヤマドゥ・コスタ、クアトロ・マホガニー、ジョアン・リラ・・・などなど。

クァトロ・マホガニーのリーダーで8弦ギターのギタリストにヴィラ=ロボスのショーロス第1番のレッスンを受けた時に、「この曲はマシーシというリズムで成り立っているけれど、でもあくまでもクラシックなのだから、エレガントで洗練されていなければいけない。マシーシだって2種類あるんだよ。」

そして、あのラグ・タイムを模倣したホ長調の部分もいつしか皆が遅いテンポで弾くようになり(ラグの引きずるようなタイム感覚を単純に遅く弾くと勘違いしたのかもしれません。)、私も当時同じように弾いてみると、「そこの部分を皆遅く弾くけど、僕は嫌だね!テンポで弾いたほうが良い。」と即答。

そう。この「嫌だ!」と随分強調して言ったこの言葉が重要なんだと思います。ラグもヴィラ=ロボスも研究した上でそうおっしゃったのだと思います。

例えば、誰もがボサノヴァをブラジルのショーロにジャズのハーモニーが融合したものだと疑わない中、A.C.ジョビンを筆頭に、私がレッスンを受講したブラジル人音楽家達も含め「違う。ボサノヴァはジャズとは関係ない。サンバなんだ。僕たちの音楽なんだ。」と皆が強調する。

私達にしてみると、どう考えてもジャズに影響されているとしか思えないのに、何故?と素朴な疑問が湧くのですが、何か彼らにしか解らない「誇り」のようなものが隠されているのかもしれないと思いました。

やはり、ここでもこの「違う。」という言葉が重要なのだと思います。

よそ様の国の音楽を演奏させてもらうのですから、この「嫌だ。」「違う。」という言葉のニュアンスを大事にしたいと思うのですよね。

様々な国の音楽家達から学びとろうとしたその貪欲さは、きっと中学生の頃から民俗音楽に興味を持ち始め、私達日本人の音楽って果たして何なのだろうとルーツを探し求めた反動なのではと思うこの頃です。